2013年11月02日

学園祭

 電車に揺られて通勤していると、大学の学園祭の“中吊り広告”を発見。

 お笑いライブとか、ミュージシャンを迎えたライブ、著名人のトークショーなどがラインナップされている。


 …お金かけてるなぁ。でも、特徴ないなぁ。手作り感もないし。


 あ〜もったいない。



 わが母校(桃山学院大学)は、在学中の学園祭でオールナイトライブをやったり、24時間いつでも学生が出入り自由だった学校の特色を上手く活かした催しをやってたよなぁ。

 って、ちょっと良き時代のことを思い出したりして。


 がんばれ、学生。

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2013年10月31日

歓びの東京

 まとまった時間が取れたので、久しぶりに東京へ。今回は、こちらのスポットを見て回りました。

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 青空に映える東京タワーは、今年開業55周年を迎えます。漆黒に浮かび上がるクリスタルブルーは、東京スカイツリー。そして、シンデレラ城のシルエットが絵になった東京ディズニーランドは30周年の秋、ハロウィンの催しで大いに賑わっていました。

 いずれも魅力のある場所でしたが、何より共鳴したのは、「歓びのパワーに満ちあふれていたこと」 です。迎えてくれるスタッフの笑顔、応対…。そこで仕事に携わっている誇りをも感じさせてくれました。それらがもたらす効果は、その場所の魅力を何倍にも引き立て、「また来たくなる」 満足感を与えてくれます。

 イベントMCから始まった私のキャリアは、テレビやラジオ、録音、講師活動というフィールドと絡み合いながら、バファローズの場内アナウンスへと紡いできました。ひとつの形が区切りを迎えた今、改めて振り返る意味で訪れた…というのもありますが、行ってみてよかったです。


 「やってきたことは間違っていなかった」 という安堵と、「もっともっと」 への渇望…。


 ふたつの思いを胸に帰阪してまいりました。さぁ、ボチボチまいりますか。

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2013年10月12日

失敗から学ぶこと

 人間、誰しも失敗します。
失敗した際、次の行動をどのようにするかで、逆に信頼を深めるきっかけになるか、信用を失うかに分かれてしまうと思います。
 きょうは、そんなお話。

 宅配便のトラブルに見舞われた我が家。
昨夜の配達を希望していた荷物が届かず、心配してWeb上で確認したところ、「不在のため持ち帰り」 と表示されました。

 その時間帯、家には家族全員がいたばかりか、来客もあったので、インターホンの音が鳴れば必ず誰かが気付く状況でした。しかも、不在票は入っていません。

 念のため、一夜明けたきょう、再配達を受け付けるセンターに電話し、「事の顛末を説明いただきたいことと、再配達の時間帯を打ち合わせたい旨をドライバーの方にご連絡下さい」 とお伝えしました。

 しかし、1時間待っても連絡がないため確認したところ、「ドライバーには連絡しているのですが…」 との返事。仕方がないのでしばらく待っていると、ドライバーの男性から 「近くまで来ていますので、今からお伺いしてよいでしょうか?」 と連絡がありました。

 ほどなくインターホンが鳴ったので玄関先で対応したところ、ドライバーの男性が 「誤って地番の似た別の家に荷物を届けたが、不在だったため、不在票をその家にポスティングしてしまった…」 とのことでした。

 謝罪を受けたのですが、釈然としません。なぜ、このタイミングに突然、荷物を配達されたのか…


 確認すると、間違えて不在票が入ったお宅からコールセンターに連絡が入り、それを受けて担当者がドライバーに配達の指示を出したため、こちらの意向とは全然違う時間に配達されたようです。センターからドライバーに向けて送信されたラベルには 「指定時間なし」 とプリントされていました。

 配達先である我が家が関知していない連絡によって、再配達の動きを取ったのは、どう考えてもおかしい。できるだけ早く配達を…という気持ちで取り組まれたようですが、我が家にだって “きょうの予定” はあります。配達されたタイミングに不在だったら、荷物は再び留め置きとなってしまうのです。

 まず、誤りに気づいた時点で配達先に連絡を取り、意向を訊くべきだと思った私は、ドライバーの男性が上司に報告している電話を代わってもらい、「手順がおかしいのではないですか?」 と申し上げました。今後のこともありますし…。

 一方で、利用する側にも考えるべき点はあるよなぁという思いも生まれました。
 物流は多様なサービスを求められ、携わっているドライバーの方も対応に苦労されていると思います。例えば、住所は町名以下が番号の羅列です。マンションだったらマンション名を記載するなど、ヒューマンエラーが起きにくいよう、利用者も 「視認性」 を高める気配りをしなければ…ということも感じました。
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2013年10月04日

暖かい交流

 みやびじょんワイドの収録を終えて、最寄りの駅で電車を待っていた時のことです。

 「みやびじょんの、方ですよね?」

 …女性から声をかけられました。

 聞けば、彼女はスタジオのある町内に以前お住まいで、近くにテレビ局ができるのを楽しみにしておられたんだそうです。そして、放送が始まった 「みやびじょんワイド」 を楽しくご覧になっていたとのこと…。

 今は別の場所へ転居されましたが、J:COMには加入しておられ、引き続き番組をご覧いただいているそうです。もう17年あまり、画面上でのお付き合いになります。


 私にとっても、みやびじょんワイドは生活の一部ですから、そう仰っていただけるのはスゴく嬉しいし、お声掛けいただけたことについてもありがたく思いました。…だって、ちょっと勇気要りますよね。

 来週の月曜日、また新しい内容で皆さまにお目にかかります。(^^)

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2013年08月07日

「風立ちぬ」が沁み入る夏の日。

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 公開から2週間あまりでようやく観てきた。
宮崎駿監督の 「風立ちぬ」。

 あちこちでストーリーや背景が報じられているので、ここでは申すまい。

 ただ、宮崎さんの作品で、いちばん深い思いを抱いたのは間違いない。

 私の中では最高傑作に出会った気分だ。

 昭和の大恐慌から第二次大戦に至る時代を横糸に、その時代に翻弄されながらも、自分の思いに真っ直ぐ生きようとした人たちを縦糸に据えて織りなされた作品。

 航空設計技士を目指した主人公・二郎の夢と、生きた時代がもたらす錯誤は切ない。

 また、結核に侵されて先が長くないと悟った菜穂子の、二郎に対する思いと行動…。

 いずれも、「今を懸命に生きる」 というのが根底にある。

 そして、そうした行動を引き起こす人の心のありようを描いていたからこそ、劇場内で共感の涙を流す人たちが多かったのだろう。

 人間は、理屈で片づけられない生き物だ。矛盾のかたまりだ。だからこそ、美しい。


 主人公・二郎の声に庵野秀明さんを起用したのも、リアリティを狙ったものだと思う。時代に流されずモノを創り、夢をカタチにする人という意味での起用…という話を聞いたが、むしろ、役作りの巧みな声優・俳優ではない人に声を吹き込んでもらうことで、二郎をキャラクターとしてではなく、人間として豊かに描きたかったのだろうと感じた。


 声高に 「戦争反対」 を叫ぶ映画ではない。

 ましてや、一部の外国メディアが報じる 「戦争礼賛」 のようなものでは決してありえない。←立場が違えばそういう解釈になるの?と思ったりもしたが、報じたメディアの “読解能力の欠如” と理解した方が良いだろう。


 普通に生きる人たちが、自分の人生を思うがままに全うできない 「戦争」 とは、一体、何なのか?を起想させ、それは果たして許されるものなのかを考えさせるのに、この作品は十分な力を有する。

 一見、子供向けのアニメではないが、大人よりも感受性の強い子供には見せて良いと思うし、「あれはなぜそうなったのか」 がその時には判らずとも、のちに紐解いた時に理解が深まり、自分の生き方に思いを馳せることができたなら、それでいい。むしろ、作品へ思いは、そうして醸成してゆくものだろう。

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2013年08月04日

時には昔の話を。

 ナイトゲームの仕事が終わって夜半に帰宅し、新聞の夕刊を見たらこんな記事が載っていた。「御堂筋の彫刻」 →http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130803/wlf13080313310015-n1.htm

 大阪の中心部を南北に貫くメーンストリートの御堂筋。その沿道には、企業からの寄付による彫刻が設置されている。すべて、本物の彫刻だ。美術館に所蔵されているような芸術品が、覆いもなく、雨風にさらされながら、人々が行き交うそのそばで街の風景に溶け込んでいる贅沢な空間…。


 20年以上前、当時の大阪市長・西尾正也さんが 「企業も文化振興の担い手」 として、企業の寄付を前提に事業を立ち上げた 「御堂筋彫刻ストリート」。


 当時、ラジオ大阪で、建設省 (現・国土交通省) 大阪国道工事事務所による番組の出演者として、“道” に関する様々な場所へ取材に行き、リポートしていたが、この彫刻ストリートの除幕式にも幾度か訪れたことを、記事を読みながら、ふと思い出した。


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 これは、1994年の10月に行われた除幕式の際に、西尾市長にインタビューした時の写真。取材のディレクターが、「行くでー」 と言いながらノンアポでアタックし、歩きながら話をお聞きしたという結構ムチャなエピソードも鮮明に記憶に残っている。←今の市長では絶対できないわなぁ。(^^;)


 新聞の記事を読んで古いアルバムをめくり、思い出を虫干しするのも、悪くない。


 そういえば、番組では 「JR東西線の北新地駅」 がまだ工事現場だった頃とか、「第二京阪道路」 が工事の前段階だった頃に現場を訪れ、今はもう地図になっているそれらが “未来” だった話題をいっぱい取り上げていたんだよなぁ。

 戻りたいとは思わないけれど、またゆっくり思い出したいね。

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2013年03月17日

鉄腕アトムと涙腺

 冬晴れのある日…

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 宝塚にある 「手塚治虫記念館」 に行きました。レオが愛らしくお出迎えしてくれます。大好きなサファイアも…

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 いつ見ても、なかなかの美人です☆

 歩を進めて中に入ると、この日は永井豪さんとのコラボ企画で…

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 こんな絵の描かれたパネルが飾られていました。←もちろん撮影可の物件です。


 ここを訪れると、いつも私は涙腺がユルくなるのです。それはなぜか…

 ピアノで流れる 「鉄腕アトム」 の曲のためなんですね。

 ♪そ〜ら〜を こ〜えて〜 ラララ ほ〜し〜のか〜なた〜

 この一節のメロディです。

 たぶん、この曲とともにアトムがテレビの中で活躍していた頃、未来はとっても明るいものとして、人々の中にイメージされていたんだろうな。信じていたんだろうなぁ…って思うと、私たちはその思いや期待に応えることができているんだろうか? って、そんな気持ちが去来するんでしょう。甘美なノルタルジーではない切なさ。

 この曲を聴いて、心の底から幸せな気持ちに満たされる日がやってきますように。

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2013年01月22日

どんな結論になったって

 結論は、「体育科の入試は中止」。

 大阪市立桜宮高校のバスケットボール部で主将を務める男子生徒が、顧問から体罰を受けて自殺した問題は、橋下市長から桜宮高校の体育系2科の入試中止を要請された市の教育委員会が、この春の入試を中止することで決着をみました。

 協議で採択された案では、2科の定員120人分を吸収する形で普通科の定員を120人増やし、体育系2科を志望していた受験生への入試中止の影響を最小限にするため、試験の科目を同じままにして、府内全域から受けられるとしています。


 橋下市長が、一貫して 「中止にこだわった」 理由…。
それは、市教委側のアンケートで、OBで桜宮高校に勤務する教員からも 「生徒時代に体罰を受けた」 との声があったとされたことから、「卒業生が学校に戻り、旧態依然とした指導方法が平然と行われ、循環している。このままでは、繰り返しになる。」 という強い思いを抱いたからにほかならないでしょう。

 大阪市立の高等学校では80年代以降、特色化の方向で改編が行われ、桜宮高校は、体育の指導者を育てる意志に基づいた「体育科」をつくりました。
 私は、大阪市立の高校 (東高校) の卒業生で、桜宮とはお隣さんというような近い高校だったので、当時からスポーツの活動が活発で、元気な高校だなぁというイメージを抱いていました。明るい校風です。

 この件に際して、関係者にも話を聞いたんですが、
「体育科は、当初、体育のいい指導者を育てるために作られたもので、いい先生を集めて、少しずつ丁寧に作られてきた」 そうです。 「知性のある、抑制の効いた先生もいらっしゃった」 と聞きました。しかし、時代が変わって、試合などの結果を重くみるようになってからは、その歯止めがなくなってきたようで、 「バレー部での体罰のときに、きちんと対処していれば止められたのに。」 と悔やんでいました。

 当初はうまく回っていたはずの歯車がおかしくなった、勝利至上主義。

 体罰のあったバスケットボール部は、全国高校総体=インターハイにこれまで3回出場していますが、いずれも、今回体罰を行っていた教諭が顧問を務めるようになってから…ということです。



 私は、夕方の番組 「時間です!林編集長」 のピンチヒッターの準備と、ニュースデスク、アナウンサーの業務を並行しながら昨日の仕事を進め、番組内では 「関係ない受験生を巻き込むことのないよう、試験は試験として行い、入学までの時間で学校の体制を立て直す。これが大人のすべき仕事」 という発言を念頭に置いていました。

 しかし、永井教育長が昼間に行った会見の内容が、その思いを覆しました。

 「バスケットボールやバレーボール以外の部でも、体罰が行われていたことが判明した。」

 こうなれば、もう全学的な改善が必要…となると、わずかな時間での解決は見られないだろう。したがって、入試の中止は必然の流れかもなぁ。と。そんなことを思いながら本番に突入しました。

 そして、結果は冒頭の通り。

 結果についても賛否はあると思います。
教育に絶対の正解なし、なのですから。どの案をとっても完璧はありません。あとは、決まったことを受けて一日も早く、理念の通った形で学校を再建してもらいたいという思いです。

 一方、大阪府の松井知事は、きのうの会見で 「体育科のある府立高校の定員をできる限り増やすのも方法だし、私立高校からも受け入れるという話を聞いている。これまで受験に向けて頑張ってきた子どもたちの行き場をなくさないようにしたい」 と述べています。

 大人の知恵と、包容力と、決断力、強い意志で、大切なものを守っていかなければ…と思います。

 大切なもの、それは、未来ある子どもの生命であり、夢であり、希望です。

 そういう意味では、残された桜宮高校の在校生たちの心の声にも真摯に向き合い、対応しなければ すべてを救ったことにはなりません。

 ある生徒は 「友達を失い、部活を失い、先生まで失ってしまう。本当につらい」 そう言っていたそうです。


 本当に大切な取り組みは、これから始まります。ガンバレ市立高校。出身の高校は違うけれど、市立の高校というだけで胸を痛めている者がここにもいるのです。


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2013年01月18日

果たしてそれは、正義なのか?

 大阪市立桜宮高校の一件がメディアをにぎわしています。

 バスケットボール部の顧問から体罰を受けた2年生の男子生徒が自殺した問題。発覚を受けて、橋下市長は、「部活動の停止」 ひいては 「高校の体育科の入試を中止」、「すべての教員を異動」 …と、矢継ぎ早に方針を繰り出しました。

 さらに、入試の中止に難色を示す市の教育委員会を牽制するかのように、今日の会見では、
体育系部活動のすべての顧問教諭が2013年4月以降も残留すれば、給与などの人件費を執行しない方針を明らかにしました。教員の人事異動の権限は市教委にありますが、その予算の編成や執行する権利は市長が握っています。
 会見ではさらに、橋下市長が 「予算の執行権は僕の権限だ。教育委員会の決定に、自動的に予算が付くわけではない」 と述べ、市教委が今月21日の回答で、市長が求めている入試の中止を正式に拒否した場合、予算面で対抗措置を取る考えを示しました。



 この一件、クラブの顧問が指導を “拳” に委ねたことがいちばんの問題で、教育的立場からすると、完全な “思考停止” と言わざるを得ません。どれだけ結果を残していようが、指導の志が低すぎます。多くの識者が示している意見と、私は同じ立場です。

 しかし、橋下市長のやり方はあまりに性急で、感情的で、計算高い…と、私は思います。

 まず、今回の問題を受けた対応の中で感じる違和感。
普段、組織のマネジメントについてさんざん論をぶっている彼は、今回も高校の校長や市教委のマネジメントについて糾弾しています。が、そのトップに位置するのは誰でしょう? あなた自身のマネジメントの問題でもあるはずです。なのに、責任はそちらへおっ被せている感じで、違和感を覚えます。

 また、「受験を希望していた生徒や保護者には申し訳ないが、過去の連続性を断ち切る必要がある。こんなことで募集を続けるとなれば大阪の恥だ」 と語っていたことについても、確かにそう思えなくはありません。一定の説得力はあるでしょう。しかし、これは “大人の都合” 以外の何物でもありませんよね。


 市長として今やるべきことは、他にありませんか?

 ショックを受けている生徒たちの心の傷はそのままですか? 学校を混乱させ、逆にあなたがその傷を深めてやしませんか?  きちんと子供たちの声も聞いて、納得してもらうように動かないと。それがマネジメントを声高に言う市長の矜持でしょう。

 “夜回り先生” として知られる元高校教諭の水谷修さんも、こう仰っています。
「自殺した生徒が体罰をどう捉え、何に悩んでいたかに加え、学校の対応や責任がどこにあるか、今まさに調査している最中だ。この時点で、入試中止や先生たちの総入れ替え、それを実行しないなら予算停止とまで言及する段階ではない」 と。


 また、予算の執行をちらつかせて自分の言うことを利かせるというそのやり方は、体罰を加えて自分の意のままに行動させる顧問の教諭と、思考回路が同じではないでしょうか。

 これまで 「教育への介入」 を強く言い続けていた市長が、この一件を巧みに利用し、政治的な流れにつなげようとしている…と、穿った見方をされても仕方のないことだと思います。 「(市長の)権限だけが独立して作用するのは危険だ。政治的リーダーシップをはき違えている」 という方もおられます。


 果たして、正義はどこにあるのでしょうか?


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2013年01月01日

ようこそ2013年

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 新年、あけましておめでとうございます。

 思い起こせば、2012年という年は、誠にはかなく、あっけなく、そそくさと過ぎ去ってしまった…。そんな1年でした。ホント、龍が “シュッ” と空高々に昇って行ったかのように。(^^;)

 ひとことで片づけられないほど早い時間の流れでしたが、目の前のことに丁寧に取り組んでいるうち、気付いたらもう、1年という時間を費やしていた…。それが実感です。

 テレビはあんまり見ていなかったなぁ。ラジオもあんまり聴けなかったなぁ。映画や落語はちょっぴり鑑賞する機会があって、野球は仕事の一環でたらふく観戦して、ライブ…行きたかったけれど行けなかったなぁ。音楽はもっぱら移動の車中だったし。(>_<)


 昨年、目標に掲げていたことの一つに 「より多くの人とお会いする」 というのがありました。

 メディアに加工された情報ではなく、生きている “ナマ” の人からの情報。それを世間の流れと重ね合わせながら、自分自身にどこまでうまくフィードバックして高めていけるか。それが、説得力や人間力の根源を成すと思っているので、機を見て即行動…と心がけました。自分のための時間をなかなか作れない中でしたが、会いたい人にも会うことができたり、貴重な話に触れることができたりで、こちらはそれなりに収穫だったかなぁ。

 で、この取り組みは今年も続けるつもり。仕事の一環…ではなく、あくまで、自分の幹をどっしり育ててゆくために。


 さぁ、真新しい1年の始まりです。
事務所から独立して15周年という、節目の年でもあります。元気いっぱい駆け抜けましょう。

 本年も、何卒よろしくお付き合い下さいませ。



 2013年1月1日 堀江 良信

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2012年12月26日

思いをカタチに。

 おととしの夏のことでした。
震災で大きな被害を受けた宮城県の七ヶ浜へ行き、ゴーヤさん(NPB非公認マスコット。…スタジアムの相方と仰る方もいる。)や、球団応援歌を歌うMEGA STOPPERのボーカル・DOMIさん、それに地元の方やボランティアの人たちと、暮れなずんでゆく浜辺でコーラスしました。→詳しくはこちらのページでどうぞ。

 それは、浜への思い入れを強く持つゴーヤさんの信念がみんなを引き寄せたわけですが、あの時にゴーヤさんが言っていた 「歌でも作って、流して、みんなにこの浜のことを知ってもらいたいんです。そして、手助けの輪を広げたいんです」 という言葉が、カタチになったのです。


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 有言実行。スゴイでしょ?


 「7beach」 と名付けられたその歌は、もちろん “七ヶ浜” の7にかかっています。国道58号線の通る沖縄にいたゴーヤさんが、ご縁で仙台の球団へもらわれてゆき、県道58号線沿いにある七ヶ浜を愛するようになった。そして、その浜が震災の津波で壊滅的な被害に遭った。だから、元の美しい浜に戻すお手伝いをしたい…。


 そんな、直球ド真ん中の思いを、チャリティCDというカタチで皆さんに届けることになりました。


 ジャケットにはゴーヤさん、DOMIさん、私のイラストがプリントされていますが、収録された歌に、私の声は入っていません。曲はプロであるドミさんと、ゴーヤさんの間の手で構成されています。ただ、歌には七ヶ浜へともに行った堀江の思いも入っているから…というゴーヤさんの気持ちが、掲載に至った理由と思います。


 初版のプレスは500枚。先日、神戸で行われたゴーヤさんイベントで販売されましたが、今後もゴーヤさん絡みのイベントなどで手に入ると思います。お値段は¥1,000+お気持ち。収益は、七ヶ浜の復興のために贈られることになっているそうです。


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2012年12月04日

選挙前夜に思うこと

 休日の朝に突如として起きた、痛ましいトンネル事故。
1970年代に建造された構造物の老朽化が、原因として指摘されている。

 焦点の吊り天井を支える金具については、打音検査が行われず、目視での点検でここまできていたらしい。逆に、よくこれまで事故が起きなかったなぁ…というのが、正直な感想だ。マンションなどの構造物ですら、竣工後10−15年の周期で大規模改修工事などが施されているのに、日々、数万という車が行き交い、振動や厳しい自然環境にさらされているトンネルで充分なケアがなされていなかったという事実。


 経営効率のプライオリティに漏れた、安全の死角。探せばまだまだ出てくるに違いない。

 思えば、原発の事故だってそうだった。新幹線のトンネル壁からモルタルが崩れ落ちたのも、道路の下に埋まった水道管が腐食して漏水したのも…。過去の資産が更新されないまま年月が経過し、危機となって静かに忍び寄る。


 構造物だけではない。

 年金制度をはじめとした社会保障制度だって、そうだ。サラリーマンと専業主婦の世帯を想定して構築されたそれらの制度は、終身や正規雇用のシステムが崩壊してしまった今となっては、もはや何の役にも立たないほど破綻をきたしている。セーフティネットもままならない状況の中、構造的な不況だけは着々と進行し、中間のネットがなくいきなり生活保護の受給者となってしまう人たちが右肩上がりで増えてゆく。


 そんな中で、なおも “成長” というお題目だけが延々と語り継がれ、必達のような強迫観念で現役世代を縛り付ける。


 そうでなければ、ならないのだろうか。

 これからの暮らしは、これまでの延長でよいのか。変わらなければならないのか。変わるとするならば、どう変わらなければならないのか…。


 その着地点は、なかなか見えない。


 見えないまま、いたずらに時が経つ。


 それがまた、取り返しのつかない未来へのステップとして刻まれてゆく。


 国のありようを示し、導いてゆく政治もまた、構造の綻びを抱えたまま今に至るが、2週間もすれば、近い将来に向けた政策の可否が有権者によって判定される。

 自分が直接関われない政治を、代わりにやってもらうための人を選ぶ選挙。今の結果はすべて、これまでの世代の人たちの責任。そして、これからの世の中を作っていくのは、私たちの世代。だから、10年、20年先の日本のありようは、私たち現役世代の責任…ということになる。

 それを意識した上で、十分に吟味しなければ、取り返しのつかない禍根を残してしまいかねない。


 原発は? 被災地の復興は? 安全保障と国土の保全は? TPPは? 景気や雇用対策は? 社会保障は? 消費税の増税は? それらを包括しながら、財政のプライマリーバランスは保てるのか? 社会システムはこのままでいいのか? 永田町や霞が関のあり方は?


 未来を決めるのは政治家だけれど、それを国会に送り出すのは国民一人ひとり。

 つまり、未来を決めるのは国民。私たちの手に、未来はかかっている。

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2012年10月29日

行動と、責任。

臨時国会がスタートした。

野田総理の所信表明では、“明日への責任” をキーワードに、国を取り巻く様々な懸案について、メッセージが発せられていた。


「やるべきことを、きちんとやろう」 という言葉とともに…。


ざっくりした内容にしか触れていないので、その是非は述べないが、まぁ、突拍子のないものではない、ごくごくありふれた印象だった。





政界は浮き足立っている。

次の衆議院選挙を見据えた牽制の応酬。

総理の発言中にも多くの雑音 (ヤジ) が議場に響き渡る。



声高らかに相手の発言を遮る姿からは、剥き出しの欲望が見える。

意のままにならぬ苛立ちも解らぬではないが、国民は、そんな彼らに苛立っている。


政治の力学なんて、なかなか理解できないし、おぼろげだ。

けれども、“きちん” とできない人たちに、自分たちの国や生活を預けるのって、安心?…という気持ちは明確な形で存在する。


おそらく、次の選挙でここにいる多くの議員が立候補し、議場に舞い戻ってくるだろう。


すべては狭い世界の中で起きている。





官僚主導から政治主導に…

3年前の熱狂を、冷ややかなスタンスで見ていた私は、「そう、なるわなあー」 的な見方になっているが、その言葉を信じて一票投じた人たちの中には、「騙されたー」 と思っている人も多いだろう。


政治は、人の営みに影響する。


だからこそ、
責任ある言葉と行動を求めたい。





メディアでは、評論家や専門家が、与野党の関係や第三極の勢力などを言葉巧みに解説したりしているが、ミスリードは怖い。マスコミの報道が、有権者の投票行動に色濃く影響しているのを見ているだけに、なおさらだ。

政治は、政治家が変えるのではなく、有権者が変えてしまう側面が大きい…。

私はついつい、政治の話は言葉を飲み込んでしまう。伝える側の人間が、それではいけないんだけれども。

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2012年06月21日

ブンブンと振り回されないように

 夕方にツイッターでも短く打ちましたが、消費税の増税はほぼ確定的になりました。

 再来年の4月に8%、3年後の10月に10%…。

 まぁ、世界的にみてもこれまで低い水準だったわが国の消費税。10%なら受け入れなければなぁ。と思う一方で、掻き集めた金を、国は何に使うぞ? と疑いの眼差しを向けてみたり…。

 そりゃ、そうです。
「社会保障と税の一体改革」 なのに、税金を上げるということだけが先行して決まっちゃうんだもの。まぁ、お題目通りに社会保障への目的税化するのであれば、異論はあるまい、です。

 しかし、これまでの政治の流れ (霞ヶ関に巧く操られてしまうパターン) を踏まえると、財源がどう使われるのか、甚だ心配になりますね。

 ましてや、増税の増収分として見積もられている額は、「行財政改革」 を旗印に政権を取った民主党が、この3年間で増やした予算の歳出額で相殺されるくらいのものと言われています。これで一体、何が改革できて、どんな “安心の社会保障プラン” がお目見えするのでしょうか? 疑うな!という方がムリというものです。鳩山元総理が “シロアリ” に例えた、霞ヶ関の人たちによる予算の組み方を根本から考え直さないと、更なる負担が国民を襲いかねません。

 こうやって書き進めると、増税した分をシロアリに食われるからとして、また政権を奪取した民主党の大義名分という側面からも反対の立場を取っている小沢元代表の言い分が “正義” にも思えてきます。が、それはそれで、困った問題も生じてきます。

 経済的な側面から言うと、世界の国々は、日本が本気で財政再建を果たすことができるのかを観ているようですね。ここで、ある一定の “ポーズ” を示さなければ、財政赤字が多い一方で資産も潤沢とされている日本ですら、キケンと見なされてしまいかねません。そうなればご存知の通り、国債の格付けが下がる→長期金利が上がる→ローンなどの金利が上がる→設備投資に消極的になる…という、シブい展開になるかも知れません。

 その一方で、このデフレの時期に税率をあげて国民負担を増やすと、ますます消費マインドが冷え込み、不景気が長引いてデフレから脱却できない状況が続く。ひいては、税収も伸び悩み、何のために増税したのかわからなくなる…という事態も想定できます。

 そして、肝心要の “社会保障” は、そうした財源に裏打ちされた形で、ホントに保証されたものになりうるのか否か。

 将来世代に禍根を残さないためにも、中途半端な議論 (にしか見えない) ではなく、徹底的に実のある論争を展開していただきたかったなぁというのが、私の思いです。

 だって、決められる立場にないですからね。国民は。でもって、あんなしょーもない永田町のオッサンらが自分たちの体裁にウエイトを置いた話し合いの末、妥協した…という産物を、私たちはイヤがおうにも享受せねばならないのですし。

 消費税の増税問題は、こういう側面だけではありません。所得の低い人たちの重税感が増したりすることへの対策や、例外の品目を設けるのかどうかといった問題など、解決しなければならないことは多方面に及びます。


 そうしたことの一つひとつを、マスコミはつぶさに検証し、体系立てて伝えていかねばならないのですが、どうしても目の前で起きていることに気を取られるあまり、情報のシッポを追い掛け回している感は否めません。そして、それらを視聴して判断せざるを得ない国民は不幸で、そうならないためのじっくり腰を据えた取り組みが求められます。

 かくいう私も、マスコミの端くれにいるのですが、デイリーの定時ニュースを編集して読むというサイクルの中では、なかなかそういうものがカタチになりません。情報をまとめてブログに挙げる時間もそうそうないですしね。(>_<) 反省すべきこと、多いです。




 こういうことに限らず、例えば世論を二分している “原子力発電所の再稼動” の問題だって、政府やマスコミがしっかりメリット・デメリットを示し、人々に覚悟を求めないから、感情論が先行するのだと、私は思っています。

 いろんなことで、それをする際の 「プラスになること」 「マイナスになること」 をさまざまな立場で列挙していくと、視野が広がりますよね。そういう仕組みを自分の中に取り入れながら、判断力や、伝える際の精度の向上に努めていきたいと思っています。


 リテラシーを磨く。
これからしばらくの、私の目標です。

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2012年05月31日

オンナはオンナでも…

 専門学校でアクセントや滑舌、MCなどを教えています。

 昨日・水曜日は、MCの授業をホールで実施しました。エマージェンシー (緊急対応) の実習で、生徒 (高等課程=高校生) が前説をしている最中に “緊急地震速報” の音を鳴らします。アドリブで観客を落ち着かせ、誘導するのが目的なのですが、中には、揺れが収まった後に 「気分のすぐれない方はいらっしゃいませんか?」 と言った子もいて、頼もしかったなぁ。

 司会者としてステージに上がるということは、その催しを滞りなく盛り上げて成功に導く…という責務がある一方、いざという時に、会場にいらっしゃるお客さまの安全を守るという、大事な任務も担っています。 「お客さまの命をお守りする」 といっても過言ではないでしょう。←そんな意識もなくステージに上がっている司会者は五万といますが、私はイベント出身のアナウンサーという自負がありますから、声優養成の課程であったとしても、同じ舞台に上がる子に対しては、その心構えは吹き込んであげたい…。それが教育というものだと思っています。

 今の高校3年生は、入学したときからのお付き合いなので、成長していく様子が楽しみです。このまままっすぐ伸びやかに進んでいって欲しいな…と思いますね。



 そんなハッピーな授業を終えて家に帰る途中、近所で、髪を金色に染め、蝶のようなサングラスをつけて携帯電話で話をしながらフラフラ自転車に乗っているオンナに遭遇… ぶつかりそうになったほかの自転車に向かって 「危ない!危ないっちゅうねん!!」 と悪態をついて走り去りました。←アンタが危ない。しかも怪しいし。

 同じオンナでも、これだけ落差を見せつけられたら、到底、同じ生き物とは思えませんでしたわ。 (^^;) …残念。

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2012年05月27日

人は煩悩のカタマリ

…とは、よく言ったものですが、
あんまりね、欲はないんですよ。ワタシ。

今月もよぉ働きました。働き盛りです。家族を養わねばなりません。 (←これだけ働いても、なぜラクに暮らせないのかは、お国の怠慢だとグチのひとつも言いたくなりますが…) ゼイタクは敵です。とはいえ、燃え尽きるまでの仕事人間…というわけでもありません。

今日は久々、休日になった日曜日…。

まぁ、購買欲とか、食欲とか、日光浴とか… ←それはちょっと違う。
こういう時には、そうしたいろんな欲を満たそうと思うもの、なんでしょうが、湧きませんねぇ。ぜんぜん。枯れているんでしょうかねぇ。(笑)



どちらかと言えば…
「ヘリウムガスを満たして浮いているリビングの風船 (←チビ用) が、空気の流れで漂うのをボーっと見ていたい」 とか、

「結局世話することになってしまった3匹のキンギョが水槽の中を不規則にゆらゆら泳ぐ姿を、ただただ眺めていたい」 とか、

「チビの自転車トレーニングをしてやりたい」 とか、
そんな、ごくごくありふれたことへの欲求が目覚めの頭に浮かんでは消えてゆきました。(^^;)


そして結局、友人家族とランチを食べたあと夕方まで遊び、ハウスキーピングやら、日用品の買い出しやら、仕事の準備やらで休日は終わる。

そんなものです。

あとは、心地よく眠りについて、スッキリ目覚めたいなぁ。

…え、フツーすぎますか?

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2012年04月30日

The Long and Winding Road

 ザ・ビートルズの名曲の話ではありません。私の “曲がりくねった” 道のりの話です。

 本日、デビュー23年となりました。
この春大学を卒業した人と同じ1989年 “生まれ”。ですから、今教えている専門学校生たちが生まれる前から仕事をしていることになるんですね。もう、そんな歳になったのかと、感慨深い思いをしたのと、少しは人さまに語れるだけの経験は積んできたかな…と感じている今日この頃です。


 デビューはイベントのMC。そこからしばらくはキャラクターショーの司会がメーン。人前でしゃべる経験を積むために、繁華街にある大型のカメラ屋さんの店頭でフィルムを売るキャンペーンのお仕事もしました。ぬいぐるみのショーで声をあてたり、目をかけて下さったディレクターさんに録音の仕事をいただきながら、声を “残す” 仕事のスキルを積み、ラジオのリポーター、高校野球のアルプスリポーターや実況でその場の空気を伝える難しさと奥深さをカラダで覚え、音楽番組や情報番組のパーソナリティ、ケーブルテレビのキャスターではリスナーさんや視聴者の方との距離感やキャッチボールの大切さを学び、ニュースを扱う仕事では文章を解りやすく伝えることに心を砕き、ドラマのナビゲーション番組のナレーションで “遊び” の楽しさを覚え、TVショッピングへの出演で商品の見せ方や伝え方を考えさせられ、京都サンガのスタジアムアナウンスで多くの人と感動を分かち合う仕事の素晴らしさに触れ、ゲームの音声を担当することで、“声を保つ” という、クオリティへの意識が高まり、今に至ります。 ←句読点ばっかり。(^^;) でも、終止符で切れることなく、これまでお仕事が続けられた…ということなんですね。本当に幸せ者だと思います。

 そして、これまで歩んできた私の仕事のエッセンスは、オリックス・バファローズで担当しているスタジアムアナウンサーの仕事にすべて凝縮されているといっても過言ではありません。球場で私の声を聴いて下さったことのある方なら、ご理解いただけると思います。


 先日、ゲストに呼んで下さったラジオ関西 「ラジメニ玉手箱R」というネット配信の番組で、パーソナリティの岩崎和夫さんや南かおりさんにこれまでの道のりをお話ししたり、教えている専門学校で折に触れて学生に話していることを思い出しながら、ふと、そんなことを思った節目。



 とはいえ、
まだまだ私の前には、壮大な道を拓いてこられた経験豊かな先人たちがご活躍されています。そんな方々の技をしっかり “盗み”、自分のものに昇華させて、さらなる進化を…と考えております。

 明日から始まる24年(目)は、干支でいうと “ふた周り” 。ふた周りといえば、野球では試合の中盤に差し掛かる頃です。そう、人生はまだまだ先に続くのです。皆さま、よろしくお付き合い下さいませ。

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2012年04月29日

野球好き…だからこその。

 今日の試合は 「J−SPORTS 野球好きスペシャル」 として開催されました。“野球好き” を標榜しているJ−SPORTSの視聴者から選ばれたキッズたちが、始球式や花束贈呈、各ポジションでの選手のお出迎えやアナウンス体験などを通じて、プロ野球の現場を間近に感じてもらう企画が行われました。

 もちろん、大型連休中ということもあって、ファミリー層のお客さまにも多くご来場いただきました。こちらも演出の中で幅広い層の人に楽しんでいただけるような曲を選んだり、親しみやすい出し物をイニング間に行ったりして、楽しい時間を過ごしてもらおうと取り組みました。

 そんなお客さまの中に、私のとってもお世話になった方もいらしてました。長きにわたって放送局のスポーツ部門でプロ野球の中継などに携わっていたプロデューサー。ご自身も野球をされていたので、野球を見る目は玄人はだしです。

 試合が終わったあとに久しぶりの再会をし、いろいろとお話を聞かせていただきましたが、その中で、私自身も心に留めておかねばならないな…と思えるような金言をいくつかいただいたので、ここに載せておきます。備忘録という意味でも。


 氏、曰く。
確かに、バファローズは負けて残念な試合だったけれど、それ以前に残念なのは、最後まで観たいと思わせるような期待が持てなかったということ。お客は “プロ” 野球の試合を、お金を払って観に来ているのだということを忘れてはならない。

 攻守や投手の交代に時間がかかりすぎ、いたずらに時間を消費している。子どもたちも多く観に来ているのに、あれだけ試合が長くなると、退屈して客席の後ろで遊んでいる子がいっぱいいた。

 場内の音も、大きければ迫力がある…というのは違う。あれだけダレた流れの中では、せっかくのいい音も、ノイズに聞こえかねない。客の感情というのは、そういうものだ。

 結論として、今日の試合を初めて観に来た人が、「また来たい」 と思えるかどうか…。そこを考えないと。


 厳しいご意見でしたが、野球好きの一ファンとしての思いを包み隠さずお話いただけてよかったです。


 確かにそうですよね。

「お客さまを失望させてはいけない。」

 私たち演出チームも、お客さまに喜んでいただこう、楽しんでもらおうと、日々、さまざまな出し物を繰り出し、オペレートしています。しかし、単調になっていないか、それはお客さまにとってどうなのか…と、その場の空気により敏感になり、お客さま目線で遂行していかねばならないところも多分にあるよなぁと思い返すキッカケを与えて下さいました。

 人間、歳を重ねていくと、ご指摘をいただく機会がだんだん減ります。私にとってはありがたい言葉の数々でした。明日からまた頑張ります。

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2012年03月28日

子だくさんが育児に造詣が深い…とは限らない。

 きのう (27日) の夕方に放送された、毎日放送テレビの報道番組 「VOICE」 (←関西ローカル向けです)。
 その中で、大阪市が進めようとしている、保育所をめぐる施策について採り上げていた。

 都市部を中心に、保育所へ入りたくても定員が限られているため入ることのできない、数多くの 「待機児童」 の存在が指摘され、その解消が課題となっている。そこで、厚生労働省は対応策として、今年の4月から3年間、東京や大阪など一部の自治体が独自に認可保育所の面積基準を設定することを認めることにした。
 面積基準とは、園児1人に確保される面積を示すもので、面積基準を自治体の判断で引き下げられれば、より多くの乳幼児を受け入れることが可能となる。=現場的視点でいうと、 「詰め込み」 となるだろう。

 これを受けて、大阪市は、今開かれている市議会で、保育所の面積基準などについての見直しを上程した。 (議案第176号 大阪市児童福祉施設最低基準条例案)

 と、いうもの。

 基準がどうなるのかというと、現在、1歳児の場合は1人あたり3.3平方メートルとなっているものが、来月から半分の1.65平方メートルとなる。番組では実際に市内の保育園を取材し、一定面積あたりの中で遊ぶ子どもの様子を見せていたが、新基準ではなかなか窮屈そうだ。
 保育園の部屋は遊びの場だけではない。給食を食べ、お昼寝をし、安全に遊ぶための場である。いわば、子供たちにとっては生活の場。それが、1人あたりでは半分の広さになってしまう。

 放送時間の都合もあってか、番組では割愛されていたが、実は、もっと重要なことがある。
 園児に対する保育士の割り当て人数の基準というものも、現場的にいうと “改悪” されてしまうのだ。

 例えば、1歳児は園児5人に対して保育士1人…という現状が、受け持ちの園児が1人増えて6人になる。

 なぁんだ、1人くらい…と思うだろう。
しかし、1歳児というのは、食事・排泄・着替えのすべてに大人のケアが必要な年齢だ。月例の差 (個人の発育の差) も大きく、歩ける子と歩けない子が部屋の中で混在する。自我が芽生え、「イヤイヤ」 を言い、かみつきあったりもする。ひとときも目を離すことができない年齢だ。そこを担当する保育士に、 「じゃ、あと1人追加で…」 って、軽々しく言わないであげて欲しい。あなたは6人の1歳児を安全に面倒みられますか? ってことだ。

 こうした条例の案が浮上したあと、現場の職員や保護者らから批判の声が上がり、市のパブリックコメント (市民からの意見) には2000を上回る意見が寄せられたが、市側はこれを一蹴。あくまで、“効率優先” の立場を取った。確かに、待機児童の数が減れば、 “成果” として胸を張れるだろう。保育所に入りたくても入れなかった子が入れるようになれば、親だって喜んで預け、仕事に向かえるだろうから。

 しかし、だ。
橋下市長は、しわ寄せがどこに向かうのか解っているのだろうか?

 狭いところに押し込められて窮屈な思いをする子ども自身であり、受け持つの子どもの数が増えて世話が行き届かなくなると危惧している、現場の保育士なのだ。当事者にしわ寄せが向くのを不幸なことだと思わないのか?

 市長は子だくさんでも、育児には造詣が深くない…ということだろう。子どもを保育園に送り迎えし、行事にも参加するなかで、現場の保育士の様子を見ていたら、その大変さは親として十二分に伝わってくる。今でも大変なのだ。それを、自分たち (行政) で努力もせず、「これで待機児童の数が減りました」 っていうような “数合わせ” を現場に押し付けるようなことでは、子を持つ親も、現場の保育士も、子ども本人も、まったく報われない。誰も喜ばないのだ。
 市長には、そういう “当事者目線” が欠けている。人の関心を惹くような判りやすい話ばかり広げ、そこに住まう人の息遣いに気づいていない。いや、気づいていても黙殺しているのかもしれない。

 市議会では、議員の側からも反発が相次ぎ、 「現場の実情に合わせた形で運用する」 という付則をぶら下げて、この条例は可決されるが、果たしてどうなることやら…。


 ちなみに、お隣りの京都市では、大阪市よりも手厚い保育基準を、これまでのまま継続することを市議会で決議した。

 京都市は社寺や学校が多く、他の政令市に比べて固定資産税など市税を柱とする自主財源の割合が低い。おととしの市民一人あたりの市税収入は大阪市と比べると7万円以上も低いのだ。
 …にもかかわらず、京都市は 「子どもの健やかな成長のため。3年の時限立法が切れたあと現状に戻すことになっても混乱する」 という立場で、大阪市との対応の違いが鮮明に出ている。


 これまでの大阪市政では、こういうところへのケアをしっかりしてきたのに、残念だ。成果主義の市長が就任したことで、これから先が思いやられる。

 近い将来の大阪が 「だから言ったでしょ。」 という具合にならないことを、切に祈る。


posted by holyyell at 00:26| Comment(2) | 物思う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月03日

大丈夫? 幼保一体化のプラン

 「子育てを社会で支える」
そんな理想を掲げて政府が取り組んでいる新しい制度 「子ども・子育て新システム」。その関連法案の骨子がまとまり、公表された。軸になるのは 「幼保一体化」(幼稚園と保育園の一体化)で、 「税と社会保障の一体改革」 における、現役世代向けの目玉政策らしい。
 政府は、新しい制度の財源として、消費増を増税した分から年間7000億円を充て、2015年度をめどに本格実施する考えのようだ。それに向けて、法案は今の国会に提出されるが、子育て中の私なんかから見ると、課題ばかりが目につく。 →「幼保一体化」については、こちらの記事に詳しく記述。


 文部科学省と厚生労働省に分かれている所管を一元化し、最適化を図るという点では、いま求められている行政スリム化の視点に立つと歓迎すべきことだろう。ただ、聞こえはいいが、流されてはいけない。


 中身を見ていると、
幼稚園と保育所を一体化する「総合こども園」は、“教育” を担う幼稚園と、“保育” を担う保育園のサービスを同時に提供するものだが、「総合こども園」には、3歳未満の子の受け入れを義務付けていない。


 最大の “欠陥”は、ここにある。


 そもそも、「総合こども園」の大きな目的には、“待機児童の解消” があったはずだ。子どもを預かる時間が朝から昼過ぎまでということもあって、定員に比較的ゆとりのある幼稚園に対し、夕方〜夜間まで預かってくれる保育園へのニーズは高い。そして、希望者に対する定員が追いつかないため、都市部を中心に待機児童が解消されない事態が続いているのはご存知の通り。

 つまり、3歳未満の子どもたちの保育ニーズが圧倒的に多く、待機児童の数に占める割合も8割と高い。なのに、その年代についての縛りを 「総合こども園」 につけないというのは、明らかに制度がめざす趣旨から逸脱している。


 確かに、幼稚園の教諭が乳児を保育するためには、今の制度では追加で資格を取らねばならず、 “幼稚園側への配慮” と取れる。


 しかし、こういう制度は、あまねくすべての人たちにとって利用しやすいものでなければ、まったく意味がない。改革ではないのだ。役所の論理に基づく、単なる “整理統廃合” と取られても仕方がない。むしろ “保育園” の制度へ寄り添うのが、より国民本位の改革ではないのか。不景気の中、働きたい親を家に釘付けにしかねない制度は、国の目指すべき方向と相反していないか。出産・育児休暇をしっかりと取得でき、復帰後の仕事が補償されているのは、公務員か大企業の正社員くらいではないか。それ以外のお母さんは、再び職場へ復帰できるために可能な限りブランクを作りたくないと思っているはずだ。


 財源の裏打ちなく走り出し、中途半端な形で失敗した 「子ども手当」 のようなバラマキではなく、国民が “その気になる” ための仕組みを整備するのが役人の仕事。決めるのが政治家の仕事ではないか。安定した収入のもと、ろくに子育てに参加しないないだろうと思われる霞ヶ関の役人が主体となってこういう政策を設計するということ自体が、そもそも現実離れしていると私は思っている。待機児童の解消、保育制度の充実は喫緊の課題なのだ。


 骨子には2015年から順次移行…とあるが、おそらく現場はかなり混乱する。親子とて、そうだ。



 そして、もう一つ気に入らないのは、「増税した分の中から」 という費用の捻出手段だ。まず増税ありきという、政府のスタンス。

 財政の再建には増税は必要だが、ムダを省く政改革と経済成長へ向けた取り組みの “三位一体” でなければならない。のに、景気に左右され、一番アテにならない消費税の増税だけが先んじているのはいかがなものか。そんなバランスの欠いた進め方では、必ず破綻が起きる。制度設計というものは、長きにわたって続けていけるものでなくてはならないのに、最近は政府も官僚も、よってたかって “百年住宅” ではなく、“プレハブ住宅” ばかり建てている気がする。


 

 何だかなぁ。


 他にも、制度自体のツッコミどころはいろいろあるが、ひとまずはこの辺で。


posted by holyyell at 18:27| Comment(0) | 物思う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする