2012年01月04日

個に返るひととき

久しぶりに訪れた町。
4歳から10年間住んでいた、ちいさな町。
かつて住んでいた団地の部屋には、灯りがともっていた。
誰かがそこで暮らしを営んでいる。

そして私は、
楽しく過ごし、おぼろげながらも未来を描いたその町を離れて、今に至る。

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あの頃に見ていた景色を、同じアングルでフレームに収める。

お正月は凧揚げをして、行き交う電車を眺めていたなぁ。

そんな、今も電線がジャマすることのない空を見上げながら、やさしくも切ない気持ちになる。


走り回った路地は狭く思える。
私が大人になったせいか、スケールダウンを感じながら進んでゆく。
ただひたすらに、気の向くままに…。


リフレッシュやリセットするのに、私はひとりになりたい人だ。
家族も友人も仲間も、バイアスのかかる人がいないそこに佇み、景色と向き合うのが好きだ。

とても大切な時間だった。
きょう、改めてそれを感じた。

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2011年12月27日

結婚のススメ

 きょう、工業デザイナーの柳宗理さんがお亡くなりになったニュースを放送したときのこと。

 通信社から送られてきた原稿には、亡くなった日付や原因のほか、これまでの経歴が記されていたが、作品の部分には 「バタフライスツール」 や 「札幌五輪の聖火台」 しかなかった。これでも解らなくはないが、少し素っ気無いなと思い、 「シンプルでスタイリッシュな調理器具も人気を得た」 という文言を足した。きっと、生活者の視点ならそっちの方になじみがあるだろう。

 おそらく、私が独身だったら、送られてきた原稿をそのまま放送していた。調理器具なんていうカテゴリーは、所帯を持って、ヨメが台所用品に興味がなければ、中年男には疎いはずだからだ。

 つまりは、そういうことである。

 結婚することにより、それまで育ってきた環境の異なる者どうしが、生活する中で違った価値観に触れ、視野が広がる。その多くは、これまでの経験ではカバーしきれなかったものだから、自らを高めてくれる。結婚10年目、これまでそういうシーンにこれまで何度遭遇したことか…。

 他人どうしが一つ屋根の下…。我慢しなければならないところもあるだろうが、それによって得られるものも間違いなく大きい。


 「悩める子羊よ、寄り添い給え。」

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2011年11月28日

大阪W選挙、私なりの総括

 大阪府知事選挙・大阪市長選挙について、戦前からツイッターなどで申し上げる機会もありましたので、結果が出た今、総括する必要があろうかと思います。自分の思いや考えを改めて整理するためにも…。


 2つの選挙では、 “大阪維新の会” の候補者がより多くの民意を得ました。知事には松井幹事長、市長には橋下代表…。今回の選挙は、世論を二分するような状況の下で行われましたが、私は、知事選挙は 「倉田さん」、市長選挙は 「平松さん」 に投票致しました。

 改革派の方々は、こぞって維新の会が主張する 「大阪都構想」 に賛成を唱えました。私も、都道府県と同じ権限を持つ政令指定都市が、都道府県の中に内包されていることに由来する “ムダ” については違和感を持っていましたが、大阪市を分割して30万人程度の区を8〜9つに再編するという 「都構想」 が具体化したとして、ドラスティックに私たちの暮らしが良くなる…とは思えませんでした。なぜならば、 「財源を区に」 といっても、市民サービスは区の財政事情に左右されるかもしれないし(今は大阪市は一律)、橋下府政の3年9か月を見てきて、大阪維新の会が掲げる 「二重行政を解消→ムダを排除→財源を確保→成長戦略」 の構図が、机上の空論に感じたからです。でなけければ、大阪府の財政は、なぜあんなに削りに削って好転するどころか、借金が増える形になったのか。逆に、ムダの元凶と槍玉に挙げられた大阪市は借金を着実に減らしてきたのか…。

 また、 「教育基本条例」 については、マスコミではあまり論じられませんでしたが、私の中では非常に大きなウエイトを占めました。むしろ、都構想は千歩譲ってよしとしても、この条例だけはいけないと。本当に子供のためにはならないだろうなと思われたからです。 「ゆとり教育が何を生んだかよく考えようね」 などという論調の方もおられましたが、この条例に反対している人たちの多くは、ゆとり教育がいいと言っているのではないでしょう。教育にある程度の競争は必要です。しかし、それがすべてではないということ。世の中は価値観が多様になっています。偏差値エリートを育てるのを命題とするような、前時代的なスキームで組み上げられているこの条例には、競争した結果落ちこぼれてしまった人をフォローすることや、そういう数値化できない価値の部分で頑張る子どもを評価することなどの仕組みがみられません。無論、厳しさは必要ですが、その反面、教育はもどかしいものでもあります。私も、教壇に立つ機会のある身として痛切に感じていますし、子を持つ親としても重々承知しています。が、教育基本条例は、視線の先に主役であるはずの子どもではなく、教員に対する “仕掛け” ばかりが目に付きました。

 そうです。3年9か月にわたる府知事時代と同じ。
敵 (公務員) を作り、攻撃する → 反撃されたことに対して揚げ足を取り、自らの正当性をクローズアップする…というやり方です。それでは、向上につながらないし、信認も得られないと思います。


 正直、ここまでの選挙戦は、とても気持ちが重苦しく、マスコミやネット上での市民を巻き込んだネガティブな言葉の応酬に、うっとうしさすら覚えておりましたが、橋下さんは、当選確実となった直後の記者会見で、「ノーサイド」 という言葉を使いました。勝敗は決したけれども、お互いの健闘を讃えあおう…とするラガーマンの精神。


 仕組みを変えようという時に一番大切なのは、そこに息づく “人” の存在に、どけだけ丁寧に向き合えるか…ということだと思います。よりよい大阪を作るために…という “人の思い” を受け止めてトップに立たれたわけですから、そこは充分に踏まえた上で臨んでほしいものだと思いました。その上で、一市民として協力できるところは協力すべきですし、違うと思ったことにはキチンと意思表示し続けることも肝要でしょう。“まちづくり” は、政治だけによるものではなく、行政だけが行うものでもなく、そこに生きている市民一人ひとりがなすべきことだからです。


 さぁ、新しいステージが始まります。


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2011年11月21日

一定の結論は出たけれど…

 オウム真理教をめぐる一連の裁判が、きょう、16年あまりにわたる歳月を経て、ようやく終結した。

 早い段階から教団の不当性を指摘し続けていた坂本弁護士の一家が命を奪われ、松本サリン事件、そして地下鉄サリン事件… 大小さまざまな事件によって30人ほどが尊い命を落とし、6000ほどの人が身体や心に傷を残した。そして、被害に遭った人の関係者も含めると、実に何万、いや、十万単位の人たちの人生を大きく変えてしまったことになるだろう。誠に罪深きことである。

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 写真の左側は、村上春樹さんの著書 「アンダーグラウンド」。
地下鉄サリン事件の被害者を丹念に取材し、その時、その人が置かれた状況を余すことなく浮かび上がらせている。700ページを超える厚い本は、発売されて10年以上になるのに、実はまだ読破できていない。

 胸がいっぱいになって、なかなか読み進まないのだ。
それまでの日々を当たり前に暮らしていて、その瞬間、人生の舵が大きく切られる。何の罪もない人が、理不尽な力によって命を落としたり、拭い去ることのできない恐怖を味わうことになるなんて。

 地下鉄サリン事件は、1995年の3月20日、営団地下鉄(現・東京メトロ)の千代田線、丸の内線、日比谷線が交わり、日本の行政の心臓部ともいえる 「霞ヶ関駅」 に午前8時ごろに到着する、あわせて5つの列車の中で起きた。大学時代の後輩は、いつもはその列車に乗っていたが、たまたまその日は1本あとの電車に乗っていて難を逃れたらしい。

 亡くなった人は、たまたまそこに居合わせた…というだけで命を落としたのだ。サリンガスを吸って後遺症と闘うことを余儀なくされた人は、たまたまそこに居合わせた…というだけで巻き込まれたのだ。


 理不尽としか言いようのない出来事。
結果責任として、事件に関わった多くの信者が逮捕・起訴され、一定の結論が出た。そして、きょうはサリンガスを作った被告が上告を棄却され、死刑が確定することになるだろう。


 しかし、事件を起こしたその理由については、誰の口からも、何にも語られていない。

 なぜ、その事件が起きたのか。
 なぜ、その人たちは死ななければならなかったのか。
 なぜ、その人たちは苦しまなければならなかったのか…。

 その答えは、まだ出ていないのである。



 そして、事件の発生から歳月が流れ、そんな教団があったことも、そんな事件が起きたことも知らない世代が増えてゆく…。名前を変えて活動を続ける教団は、様々な形で新規の信者獲得を続けているらしい。ネットの占いサイトやヨガ教室などを装って、アクセスしてきた人にアプローチするケースが報告されている。

 ジャーナリストの大谷昭宏さんも 「現在の方が、なおさら若者たちの絶望感は深く、カルトに走る社会的背景がある」 と指摘する。

 著書の中で、村上さんは 「私たちの多くは、麻原の差し出す荒唐無稽なジャンクな物語をあざ笑ったものだ。 (中略) しかし、私たちはいったいどんな有効な物語を持ち出すことができるだろう? 麻原の荒唐無稽な物語を放逐できるだけのまっとうな力を持つ物語を、サブカルチャーの領域であれ、メインカルチャーの領域であれ、私たちは果たして手にしているだろうか? これはかなり大きな命題だ」 としている。

 そうなのだ。
批判は簡単。しかし、揺るぎない説得力を、私たちは持ち合わせているのだろうか…ということだ。実に悩ましい。

 多くの術を持たない私は、思い出した時にこの本を少しずつ読んでいる。
 あの現実に接した人たちの声に触れ、16年前に起きたことを決して忘れないように。そして、大切なことをまっすぐ語れるように。

posted by holyyell at 23:55| Comment(3) | 物思う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月01日

前略、橋下徹さま

 日付変わって11月になりました。
まずは、3年9か月。任期途中ではあるものの、大阪府のトップとして、同い年のあなたが神経をすり減らしながらエネルギーを傾け、大阪を変えようと頑張ってこられたその姿に対し、心からお疲れさまと言わせていただきます。

 政治的なしがらみがなく、頭の回転が速く、年長者とも臆することなく渡り合える度胸を有する…。こういう知事の誕生は、私を含め大阪府民にとってはかなり衝撃的な出来事でしたし、実際、就任時の職員訓示で 「あなた方は破産会社の従業員だ」 と投げかけた言葉は、包み隠すことのないホンネの部分で府政にぶつかってくれるという期待も抱かせました。

 実際、国の出先機関に関するムダを暴き、補助金の負担について異を唱え、地方自治体の独立性を大いに訴えてきたこの間の行動は、賞賛に値すべきものだったと思いますし、まだ海のものとも山のものとも…と言われてしまっているものの、自治体の互助組織ともいえる 「関西広域連合」 の設立にあたってはその行動力を発揮されたと思います。

 また、毎日30分の定例会見を欠かさず、大阪の今と課題を発信し続けたことや、これまでのタレント知事や省庁からの天下りのような知事などが手をつけられなかった “聖域” (=利害関係のある領域への予算) に大胆に手をかけ、財政の健全化に取り組んだ点は、やや乱暴な向きもあったものの、一定の評価がなされて良いかと思います。


 ただ、その成果は果たしてどうだったでしょうか? 政治は結果がすべてです。大阪府は単年度での黒字化を果たし…という報道もあったりしましたが、実のところ、この数年間、負債残高の総額は増える一方で、名目上でも再建を果たしたとは言いがたい状況ですね。

 教育委員会との対立も、同じく子を持つ親として看過できません。
確かに、学力テストにおける大阪府の成績はよろしくありません。が、教育改革を標榜して提出した「教育基本条例案」については、競争原理で教育の質を高めるという大義名分は立派ですが、人がそれについてこれるか…ということで疑問を感じずにいられません。現場では、テストの成績を少しでも上げるためにと、“過去の問題” を授業中にやって対策を立てたりして、正課の授業時間の幾ばくかが割かれ犠牲になっている…という、本末転倒の現象が起きているとも聞きます。公立高校の学区制の撤廃も、格差を生み出します。確かに、定員割れが恒常的に続く高校を統廃合する際の目安には役立つでしょうが、それが公教育の底上げに直接つながるかどうかは疑問です。

 これに関連して、あなたが党首を務める大阪維新の会の、大阪市長選挙におけるマニフェストには 「小学校と中学校の校区をブロック化し、学校選択制を導入」 という項目もあるようですが、これだって小さなエリア内での混乱を生みます。確かに、大阪市内の校区は線引きのおかしいものや実態にそぐわないものも多々見られますが、親の意向を反映させた結果、事務手続きが煩雑になり、あなたが選挙のマニフェストに掲げる 「市職員の3割 (1万2000人)削減」 を実行した場合、そんなところにまで手が回るかどうか…。

 大阪 (伊丹) 空港の廃止と関西空港の一元化についても、極論でした。利用者は、利便性を選びます。市内近郊に住む者が、どちらの利用を選択するかは明白で、役割分担の中で論じるほかは選択肢がなかったはず。確かに、市内中心部からリニアを関空と直結し、30分以内のアクセスが実現すれば話は別でしょうが、このご時世にそれをどうやって建設し、伊丹廃止とのバランスの中で費用対効果は担保されるのか… 「関空をアジアのハブ空港に」 と謳って完成させたものの、それに至っていない現実がすべてを物語っていると思います。

 そのほか、庁舎の耐震化に絡んでWTCを買収した経緯など、任期半ばにして府庁を去ったあなたの置き土産はあまりにも大きい。27日の選挙で選ばれた知事が、それらをどう片付けていきつつ、府の財政健全化に本腰を入れるか…。これは大変な命題でしょう。



 ところで、あなたが立候補を表明している大阪市長選挙。大阪市民の私として、少し言いたいことがあります。

 それは、マニフェストに描かれた、24ある区を統合して8つにまとめ、効率化を図るという件。聞こえがいいのですが、「都」 構想では、それぞれの区に権限を持たせるんでしたよね? それでは、各行政区の議会ができて議員の数も増えますね。事務手続きをはじめとする行政サービスもこれまで大阪市で一元化されていたものがそれぞれ分かれてしまいますし、効率への影響も懸念されませんか? また、住民の側からすれば、モデルとなっている東京のような財政調整制度を採用されると、大阪都20区内の固定資産税や都市計画税、法人税などの収入は、いったん “大阪府(都)” に召し上げられ、そこから各行政区へ再分配される形になりますが、その場合、地域によってはこれまでより行政サービスの質が低下する可能性もゼロではないということですよね? 予算の質が変わるのですから、そういう事態も想定しなくてはならなくなります。

 そして、大阪市は、府が起債残高を増やしている一方で、この数年、着実に借金を減らしてきています。あなたが 「ムダ」 と主張し続けている大阪市が、です。お願いですから、大ナタを振るった府のように、見せ掛けの借金減らしは止めて下さいね。こちらも、私たちの税金がかかっているんですから…。


 そうしたさまざまな懸念材料について、マニフェストをしっかり拝見し、判断しなければと思います。すべては、これからの大阪のために。私たち住民の生活のために。子どもたちの将来のために。

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2011年10月05日

兄貴分の、切なる思い

 結婚した際にマンションの一室をローンで購入し、自分たちのスタイルに合わせたリノベーションを施して住みました。生活していくにつれてそれなりに味わいは出てきましたが、足りないことも出てきて、今日はそれを解消するのに向けた作業をしました。


 家の改装をお願いした京都・伏見のリブアートさんに、キッチンの棚を増設してもらうことをお願いし、当時から作り付けの家具を担当して下さっている顔なじみの業者さんがお見えになって、あらかじめ測っていた寸法通りの棚を、収めるべき場所にスッと設えて下さいました。さすがプロです☆ 素晴らしいお仕事でした。




 作業はテキパキと終わり、お茶で一服していただいた時のことです。
世間話から仕事の話になり、 「しゃべる仕事の業界もなかなか大変な状況なんですよー」 などと話していると、その家具屋さんも 「建築の世界も、バブル以降の不況をずっと引きずっていて、(全般的な話として…) 単価は下がるし、請ける側はその仕事を取ろうとするから、報酬の水準が一段低くなったところに落ち着く。そうなると、会社としてはもう大変ですよね。高度な技術で仕事にあたる大工さんの日当だって、サラリーマンの水準より安いことも多い。こんなことでは、この国で “モノを作る” 産業は廃れてしまいます。」 とおっしゃいます。

 フリーランスの仕事も、取引先の各社と契約を結び、お仕事をいただくスタイルが多く、それぞれのギャランティを分析すると、同年代のサラリーマンの方の日当より多いものもあれば、少ないものもあります。その中でバランスを取りながら生計を立てているわけですが、経営サイドは我々にかかる費用を “人件費” としては見ずに “経費” として考えているようです。これは、 “労働力” が単なる商品とみなされる、由々しき重要ポイントです。幸いなことに、私はまだ 「ギャラ、○十パーセントダウンで…」 なんていう、労使交渉ができるサラリーマンの方には信じられないような賃金切り捨ての憂き目に遭ったことはありませんが、←取引先が倒産してしまったことはありますが。(>_<) 私の仲間では、そんな辛い目に遭っている人もいます。

 社会の底辺を支えている人の多くは、そんな思いをしながら働き、そして、明日の保証がまったくない “非正規” の労働者です。 「福利厚生なし、昇給なし、不定休、勤務時間不定、交通費支給なし (もしくはあっても上限あり) 、各種手当てなし、年金・健康保険の労使折半なし (全額自己負担) 、そして身分の保証なし。」 ないないづくしの環境でも、働いて働いて、その日の暮らしを守っている…。そんな人たちが山ほどいるのです。



 家具屋さんは続けます。
「この仕事をしている若い子らは、モノを作るのが好きだという、ただその思いだけで自分を支えているところがあります。そんな子らが朝から晩まで働いて、懸命に稼いだお金から、容赦なく税金は取られて、それを使う官僚や政治家があんなのでは、あんまりにもこの子らが可哀想すぎますよね」 と。



 国を形づくる上での必要なお金や時間って、あります。大切なことです。でも、そこに浪費はないのか。漫然と仕事をしていないか。プロとしての誇りを抱き、胸を張って人さまに自分の仕事を語れるか…。

 家具屋さんの話は、うわべだけのキレイごとを並べ立てる政治家や官僚の薄っぺらい話なんかが足許にも及ばない “説得力” をもって、胸に響きました。



 

 まちを歩いていると、遊び人風情の年配者が高級外車を乗り回している横で、つつましい年金生活のご老人が、暑い日も寒い日も交差点に立ち、地域の子どもたちの見守りをしている…。


 正直者が、一生懸命に生きている人が、報われる。
そんな世の中にならなければ、こんな社会は意味がないよなぁ。


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2011年07月21日

東北六魂祭

 東北六魂祭。
「とうほく・ろっこんさい」 と読みます。
東北6県に伝わるお祭りを仙台に集結させ、震災からの復興を目指すシンボルに…と、催されたイベントです。ちょうど、私が仙台に遠征していた週末に行われました。


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 会場となったのは、仙台市中心部の 「勾当台公園」。
泊まっていたホテルのすぐそばで、初日の土曜日はものすごい人、人、人…。仙台駅から地下鉄に乗ろうとすると、改札制限が行われていて、これは乗るのに時間がかかるなと判断して歩いてホテルへ向かうことに。駅2つ分だから20分くらいかなぁ…なんて漠然と思いながら、スーツケースをゴロゴロ転がしていこうとするのですが、歩道は会場から仙台駅へ向かって歩いてくる人で “片側一方通行” のような状態に。(>_<) 正面から迫りくる “人の壁”  をかきわけながら緩やかな坂道を登っていくさまは、まるで、産卵のために遡上するサケのようでした。(^^;)



 で、夜のいい雰囲気の中での見物はあきらめ、翌日、早朝の散歩がてらにと会場へ向かいました。


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 朝早くから、多くの人で賑わっていました。

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 青森のねぶたはテントの中で支度中。
今回のために特別に設えられたねぶたは、地震を例えた赤い暴れ馬を、伊達政宗が兜で抑えつける姿を表しています。


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 福島の大きなわらじも…。わらのいい匂いが漂っていました。

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 仙台の七夕をPRする市役所玄関の飾りつけ…。


 そして、秋田の竿灯は、時間が早すぎてまだ姿を現していませんでした。


一つひとつは迫力がありましたが、全体で集まると、何だか見本市のような趣でした。ですから、これはぜひ、それぞれの祭りの場所へ行って(ねぶたなら、青森…)見なければという思いにつながりますよね。このイベントには、そういう狙いもあったのでしょう。



 そして、東北のみんなが力をあわせて、この災厄から立ち上がろう!という、そんな気勢を感じる催しでもありました。大変な最中に携わった皆さま、本当にお疲れさまでした。


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2011年07月12日

猛スピードで走る、鉄の塊「トラック」

 「2時間で200キロ走れ。」
運転手にそう命じる運送会社があるという。



 時速100キロで走る計算。トラックは時速90キロ以上出せないようにリミッターがついているのでは?という疑問も湧くが、8トン未満の中型トラックまでは装着義務はない。もちろん、瞬間の速度や走行時間・距離などを自動的に記録するタコメーター (運行記録計) も取り付けの義務はない。高速道路で起きる悲劇のような死亡事故の陰には、こうした “法の隙間” をかいくぐり、ずさんな運行管理をしている運送会社の存在がある。



 近畿では、阪神高速や山陽自動車道などで法定の速度を大幅に超えてこうしたトラックを走らせ、スピード違反を黙認して運送の効率を上げようという悪質な業者が増えているということで、先日、兵庫県警が4つの業者を家宅捜索した。また、10数社を強制捜査する方針だという。


 強制捜査から立件という、異例の厳しさで臨もうとするのは、悲惨な事故をなくしたいためだ。



 実際、これらの高速道路を走るとよく解る。私も、ヨメの実家がある広島まで車を走らせる機会があるのだが、深夜の時間帯になると圧倒的に中型・大型車が多く、しかも、皆がみな、整然とルールを守って走っているわけではない。速度オーバーをする者、車間距離を極端に縮める者、無理な割り込みをする者…。そんな中で乗用車を走らせていると、身の危険を感じることは “たびたび” 起こる。大きい車に乗っていると、周りの小さい車のスピード感が判らないのか、サイドミラーを適当にしか見ていないのか、追い越し車線を走っている私の車のすぐ前に突然入り込んできたりして、こちらが急ブレーキをかけないと追突してしまいそうになる。一度や二度ではない。しょっちゅう起きるのだ。車の中で 「殺す気かー!!!ボケー!!!」 と叫ぶのは、もはや “恒例行事” のようになっている。まったくもって、嘆かわしい限りだ。



 これは、高速道路上でのことだが、運送会社によっては、 “長い距離を、短い時間で、より安く” とドライバーに要求し、コストを削るために高速道路を走らせず、一般道を通るよう指示しているところもあると聞く。



 ただでさえ、長時間の運転は集中力が損なわれやすいのに、夏場は体力の消耗も加わるため、これからのシーズン、私たち周りのドライバーがより緊張感を持って乗らなければならない。楽しいドライブはどこへやら…である。



 しかし、こうしたことが起きる背景には、 「早く・安く」 の競争があることを、利用者である私たちも忘れてはなるまい。 “時間通りに荷物が届く” “これまでの半分の時間で配達される” その便利さを求めている私たち生活者の存在がある限り、こうした過当な競争がなくなることはない。原子力発電所の安全問題を受けた節電と同じように、暮らし向きについて、考え直さなくてはならないポイントの一つだと思う。


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2011年05月31日

そんなにお嫌いで?

 もう、ずっと論争されてきたことである。

「思想・信条の自由」 は 「職務」 より重いのか、ということ。

 卒業式の君が代斉唱で起立しなかったことを理由に定年後の再雇用を拒否されたのは不当だとして、東京都立の高校に勤めていた64歳の元教諭が、東京都に対し損害賠償などを求めた裁判の上告審判決で、最高裁判所の第2小法廷は、昨日、「起立や斉唱を命じた校長の職務命令は合憲」 として、元教諭側の上告を退けた。
 元教諭は、2004年の卒業式で起立を拒否して戒告処分を受け、定年後に再雇用を申請したが不合格とされたため、裁判を起こした。一審では原告の主張が一部認められたが、二審で逆転敗訴していた。今回、最高裁が上告の請求を退けたことで、二審の判決が確定し、元教諭側は裁判に敗れたことになる。

 判決が下されたニュースを報道のデスクで受けた私は、正直、「真っ当な判決だな。」 と思った。

 今回の裁判は、職務に関する命令が憲法の定める思想良心の自由に反するか…ということが最大の争点だった。判決要旨を見ると、卒業式などでの国歌斉唱の起立は 「慣例上の儀礼的な所作」 と定義され、命令によって起立することについては、特定の思想を強制するものではないものの、個人の歴史観とは異なる行動を求められることで、間接的に思想良心の自由を制限していると判断されている。
 ただ、入学式や卒業式は、教育上重要な行事で秩序の確保が必要なことや、法律で国旗や国歌が定められている (←国旗国家法という法律がある) こと。また、公務員の立場というものを踏まえると、命令には自由の制限が許されるだけの必要性や合理性が認められ、憲法に違反しないと最高裁は結論付けた。

 判決を受けて、大阪の50歳代の男性教諭はこう語っていたという。
「公務員は全体の奉仕者だが、だからといって個人の思想信条の自由はありとあらゆる場面で制限されるのか」 と。


 私はこの問題について、ずっとこう思い続けている。
“儀礼”を蔑ろにし、権利と義務を弁えないことを許容してきたから、今の日本は内部から崩壊している。少なくとも、公教育の現場にいる人たちはそれをキッチリ自覚すべきだと。

 大阪の教諭が述べていたことは反対派の意見を代表したような感じだと思うが、それは詭弁で、「個人の思想信条の自由」 を、「職務」 の次元で語ること自体がおかしいのだ。「ありとあらゆる場面で制限…」 というが、仕事を一歩離れれば好きなようにすればいい。 ただ、文部科学省や所管の教育委員会が通達を出している以上、仕事でそれに従うのは当然のことだ。ホテルマンが、好きな格好で接客できないのと同じこと。それがイヤなら、私立で、しかもそういうことがユル〜い職場で教鞭を執られればいい。

 また、その教諭は 「そもそも、強制されないと歌われないような国歌はおかしい」 とも言っていたが、「君が代」 を忌み嫌い、そのように仕向けてきたのは、戦後あなた方が推し進めていた教育ではなかったか。

 確かに、「君が代」 という曲をめぐっては、戦中・戦後を通じて悲しい思いを重ねている方も多いだろうし、そうした感情は理解できる。しかし、それら様々なことがらを内包して今の日本という国があることを、私たちは決して忘れてはならない。それが、アイデンティティというものだからだ。きれいごとで済ませてはならない。戦後教育の最も由々しきところ、ズバリその 「きれいごと」 という言葉に尽きる。

 運動会で順位を決めず、手をつないでゴールする徒競走。成績をつける通信簿のあいまいな表現…。どれもこれも、人を傷つけまいとして本質から目を逸らす、姑息な大人の感性そのものではないか。そういうことを恥じることなく推し進め、もっともらしい屁理屈を並べ立てるような人たちに、人の道なんてものを偉そうに語ってもらいたくないとさえ思うのだ。そんな教師から教えられた子どもたちは不幸極まりない。


 君が代をめぐる職務命令について最高裁が憲法判断を下したのは、ピアノの伴奏命令を合憲と判断した2007年以来2回目で、起立命令では初めてという。東京都の教育委員会によると、同じように争われている裁判は23件あり、今回の判断は影響を与えそうだ。もちろん、義務を伴う条例案として議会に提案された大阪府も、その例外ではない。


 ちなみに、私は 「右」 でも 「左」 でもどっちでもない。正しいと思ったことを 「まっすぐ」 に申し上げるのが信条なので。
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2011年05月18日

前略 児玉清さま

 毎週、ニアミスを繰り返していたのは、ずいぶん前のことになります。
児玉さんがスタジオで 「パネルクイズ アタック25」 の収録に入られている時、
私は、隣りのスタジオで 「TVショッピング」 の収録に臨んでいました。

 もちろん、スタジオの中での収録ですから
 「その通ーり!」 とか 「アタックチャーンス!」 などというキメ台詞は、
こちらの部屋に聞こえて来ようはずもなく、
淡々と、それでいて、いつもそちらの収録が気にかかりながらのお仕事でした。


 福島にあった朝日放送の旧社屋。
TVの現場に人々の活気がみなぎっていた、
そんな昭和の残り香がまだあちこちに残っていた、味のある建物でしたね。
児玉さんの訃報に接し、思い起こされたのは、あの風景でした。

 ニアミスを続けて3年ほど。
結局、一度もお会いする機会がないまま、私は、別の仕事へ移りました。


 大好きだったんです。
スマートな佇まい、知性あふれる雰囲気、ふくよかな言葉の数々…。

 一度でいいから、お会いしたかったなぁ。


 衷心より、ご冥福をお祈り致します。安らかにお休み下さい。

                            草々

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2011年04月30日

デビュー22周年

 本日、アナウンサーとしてデビュー22周年を迎えました。

 記念すべきお仕事は、結婚披露宴の司会。
私の 「おしながき」 に披露宴の司会はないのですが、知人や友人、お世話になった方からのオファーがあれば、喜んでやらせてもらっています。そんなわけで、今日の新婦はバファローズのイベントクルーだった女性。仕事仲間の披露宴だったのでした。

 会場は、神戸の名門 「ホテルオークラ神戸」 の平安の間。
そう、あの由緒あるお部屋です。一流の仕事をするホテルマンたちとご一緒させていただき、とても刺激になりました。“宴会道”のプロですから、段取りは頭でなく、皮膚感覚で、カラダで憶えていらっしゃる。予定の変更も段取りの組み換えはフレキシブルだし、こちらが気付かない部分の提案力は的確だし、安心して心を委ね、仕事を進めることができました。これが 「ホスピタリティ」 につながるのでしょう。


 一方で、そうしたスタッフの動きを見つつ、いろんな所へ意識しながら仕事をしている自分にも気づかされました。組み立てから瞬時の対応、コメントに至るまで、この22年という歳月がたくさんの経験という貯金をしてくれたんだなぁと。


 22年前の今日は、青空が広がる中、兵庫の滝野というところでステージの上に立っていました。「花と緑のフェスティバル」 というイベントのアシスタント司会。周りのことなど何も見えず、ただただ、目の前にある台本を読んで進行していた感じ。今でも、鮮烈に記憶が残っています。どんな服を着ていたのかということも…。


 「時は流れない。それは積み重なる。」
 
秋山晶というライターさんが書いた、サントリー・クレスト12年(ウイスキー)のCMコピー。今、ものすごく胸に染み入ります。

 この22年という歳月。
下積みのしんどさや辛さ、レギュラー獲得の喜び、東京進出のもくろみ、関西で生きてゆく決意、事務所からの独立、活動の幅の広がり…。いろんなことがあり、いろんな思いがよぎります。理不尽な目にもいろいろ遭ったし、人さまにご迷惑をかけたこともなかったわけではありません。しかし、時間を “流し、浪費する” ことはしなかった。これだけは胸を張って言い切れます。

 あの時の自分に言ってあげたいと思います。
「局アナの経験がなくても、あきらめずに頑張ったから、未来の私はとても幸せなお仕事をさせてもらっているんだよ。」 と。


 20年後の私からもそんな言葉をかけてもらえるよう、明日からまた頑張っていきたいと思います。
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2011年03月13日

情報を発信するということ

 東北・関東方面での大震災。被害に遭われた方には心よりお見舞い申し上げます。
阪神・淡路大震災とはまた異質の甚大な災害。メディアもそれぞれの持ち場で情報を伝えていますが、私はやはりNHKの報道がいちばん安心して見ていられました。民放キー局の作りは、不要な効果音が入っていたり、「先の見えない…」などという余計なナレーションを伴っていたり、適切かどうか疑問に思えるような言葉を用いていたりして、普段の報道姿勢が有事にも如実に現れていたからです。

 例えば、被害を受けた福島原発に関する扱い。
“メルトダウン”とか、“炉心溶融”という言葉を使っていましたが、チェルノブイリやスリーマイルでの大事故をイメージさせる言葉であり、炉心溶融と放射性物質の重大な外部放出をイコールで結びつける人もいるので、使用には注意が必要です。原子炉自体に損傷は出ていないとのことなので、「燃料棒が熱で損傷を受けている」などの言い換えが適切ではないかと思うのです。また、“被ばく”という言葉の使い方。広島や長崎の方のみならず、多くの人たちは、被ばくとは重大な状態をイメージするはずですし、実際のところ軽度なものであれば「放射線を浴びた」と言い換えられないのでしょうか。


 こんな時にいちばん必要なものは何か?
飾ることではなく、煽りでもなく、真実の情報を、声高に叫はず、正確に伝えること。
しかも、余計な不安を与えないこと…。
言葉はとてもデリケートです。


 また、“伝える側”は、マスメディアだけではありません。
ネット上で様々な情報が飛び交い、その発信元は必ずしも報道関係ではなく、市民の方だったりします。それが悪いということでは決してありません。むしろ、マスコミが手の届かない範囲の有用な情報がネットによってもたらされていることもあります。TVで専門家がコメントしていることについて丁寧に解説を加え、理解を深めて下さる研究者だったり、草の根的な情報をもたらしているオピニオンリーダー的な方もいます。

 しかし、ネット上に飛び交う情報の中には、発信元が特定されないものや信憑性に乏しいものも多く存在します。現に、千葉のコンビナートで起きた大規模な火災をめぐるチェーンメールでは、「爆発により有害物質が雲などに付着し、雨などといっしょに降る」と言う記載がありましたが、爆発のあったタンクには“LPガス”が貯蔵されていて、燃えることによって発生した空気が人の体へ及ぼす影響は非常に少ないはずです。

 また、東京電力の原子力発電所にダメージが起きたことによる電力不足を補うため、中部電力や関西電力からも送電を行うらしい…とのメールが広範囲に広がったようです。私の元にも数通届きました。本文中には「関西電力で働いている友達からのお願いなのですが」という書き出しで、「一人が少しの節電をするだけで、関東の方の携帯が充電を出来て情報を得たり、病院にいる方が医療機器を使えるようになり救われます!」と続き、「このメールをできるだけ多くの方に送信をお願い致します!」と締めくくっています。

 これについては、確かに、他の電力各社からの電力融通は行われているようです。ただ、周波数が60Hzの西日本から50Hzの東日本へ送る際には変換が必要で、その施設の容量を超えて融通することはできません。現状では100万キロワットくらいだそうです。ちなみに、関西電力と中部電力の発電量はあわせて7000万キロワットもあり、それがすべて利用されているわけではありませんので、余剰の電力を供給することで充分という見方もできます。

 また、Twitterの“非公式RT(リツイート)”の問題もあります。
他の人のツイート(文章)を多くの人へ広めるRT(リツイート)。複数のユーザーが同じツイートをRTしても、タイムライン上(時系列で見る、記事の表示画面)には1つしか表示されないようになっていますが、非公式RT(頭にRTをつけてツイートをコピーする手法)の場合は重複して表示されるため、同じようなツイートが重複して、本当に重要なツイート(情報)が埋もれてしまうという弊害が生じます。

 切実に情報を求めている人にとって、これほど面倒なものはありません。情報を探る手間を増やすことは、インターネット上のトラフィックの混雑を引き起こし、効率が落ちることにもつながりますし、先述したチェーンメールのような形ですと、多くの人がサーバーに負荷をかけることで、通信インフラへの影響(メールの大幅な遅配など)も出てしまいます。

 こういうことは、今の状況(通信ケーブルの寸断などによって容量が低下したりする局面もあるでしょうし…)の下では非常に厄介です。情報源を見極めたうえでのご判断を願いたいですし、発信する側も、少なからず自分は影響を与える存在なのだという自覚を持った上で行動したいものだと思います。

 もちろん、私も含めて。
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2010年12月31日

本年最終日

 いよいよ2010年も最終日。
大掃除はマストのところを完了させ、年賀状も投函済み。仕事納めは昨日だったので、少しこの1年を振り返る時間ができたような気がします。

 思えば、今年はのどの不調と戦う1年でした。
逆流性の胃腸炎によって声帯を傷めたり、春先にひいた風邪がもとで、5月の大型連休中は声が出なくなり、大事な仕事に穴を空けてしまうという不甲斐ない出来事もありました。その後はコンディション良く過ごしておりましたが、晩秋に入り、体調を崩した周りに引っ張られる形でのどを傷め、また医者に通う羽目に…。

 本厄の年だったんですよね。今年は。
カラダの節目。十二分に思い知りました。(>_<)

 そういえば…
年始のブログに、こんなことを書いていました。

 「“厄”は古来、“役”に通じるとも言われています。そんなわけで、今年はより皆様の“お役”に立てるような仕事をして、“厄”を追い祓いたい。などと、私・堀江は思っております。」


 私どもの仕事は、行く先々のお客様に“満足していただく”のが至上命題です。球場でのお仕事は、お客様の気持ちをいかに高めるのか。ニュースでは、いかに解りやすく内容を伝えることができるのか。情報番組のキャスターでは、いかにリラックスしてその場を楽しんでもらうのか…。

 そういう点で、今年の堀江は、皆様のお役に立てたのでしょうか。答えは、一人ひとりのお客さまが握っていらっしゃいます。


 また、「今年は、何かが変わる。何かが動く…。」とも書いていましたが、春から専門学校の非常勤講師としての活動も始まりました。次の時代を担う喋り手の育成に関わるお仕事…。シビアに「役立つかどうか」が問われるわけですが、自身の中に新たな発見を抱きつつ、何とか進めてまいりました。教え子たちが数年後、あるいはそんなに遠くない将来、活躍の場を得て大きく羽ばたくことができたのなら、「人さまのお役に立てた」と言うことができるのでしょう。


 いずれにしても、これすべて自分ひとりではなし得ないことです。周りのスタッフの方々や家族に支えられながらの完走。心から感謝しております。

 もう、あとわずかで訪れる2011年。皆さまにとって素晴らしい年でありますように。

 今年も何かとお世話になり、誠にありがとうございました☆
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2010年12月09日

待てるもの、待てぬもの。

 金星に向かっていた日本の探査機「あかつき」が周回軌道に乗り損ねてしまったというニュースは、残念だった。が、セーフモードの状況で太陽の軌道上を進んでいるらしく、太陽電池が活かせることから、搭載されたバッテリーの消耗が抑えられるほか、金星の軌道に乗ろうとした際の逆噴射が足りなかった分、燃料がたくさん残っているらしく、6年後に再び挑戦できる状況が辛うじて残されているようだ。
 今年、地球に無事帰還し感動を与えてくれた「はやぶさ」のようなドラマティックな展開が待っているのだろうか、これは楽しみの先送りとも言える。

 「タイム・イズ・ロマン」だ。



 ところで、国内の政治はロマンを語れないほど地に堕ち過ぎている。
先日も、菅総理と社民党の福島党首が会談し、社民の掲げる要望を政権側が呑む形で、年明けの通常国会における審議への協力を確認したが、政権与党の民主党からすれば、これまで積み上げてきたものを弱小政党のオバサンのひと声で“ガラガッシャーン!”と壊された挙句、内閣は誰も責任をとらない…。不満の声は挙がらないのか?

 オバサンは、総理との会談で「私がブチ切れなくて済むように、それはよろしくお願いします」ということを、何度か言ったらしい。“それ”とは、反対している武器輸出三原則の見直しや、普天間問題での日米合意そのものの見直しをめぐっての発言だが、ちょっと待て。

 「ブチ切れたいのは、私のほうだ。」と言いたい。

 何かにつけて噛みついてくる、このヒステリックなオバサンの論調は、日本の防衛力整備や日米同盟の維持・強化の必要性、すなわち「国防」(=国民の安心・安全)という側面を考えれば、極めて現実離れしている。

 そして、それよりブチ切れたいのは政権側の対応だ。弱小政党をまとめきれないような党首の言い分にクビを縦に振り、総理はあっさりと「武器輸出三原則の見直し」を先送りした。見直しに積極的だった北沢防衛大臣も「国会を乗り切るには数がそろわないといけない」と同調し始めたから困ったものである。
 日米同盟の空洞化がより一層懸念され、基地問題は宙ぶらりんになったまま、いたずらに時間だけが過ぎてゆく…。

 「予算の審議」は「国益」より優先されるべき事柄なのか。

 第一、予算審議の協力といっても、少数野党の社民党が単独で協力したところで局面を打開する材料にはならない。議決の局面では、たとえ参議院で予算が否決されても衆議院の議決が優先されるので、社民党が賛成しようが反対しようが大勢に影響なんてないのだ。
 どうしても協力が必要な場面があるとすれば、重要な法案が参議院で否決された場合に衆議院で再可決する時だけれど、再可決してでも通すべき法案って何よ?
 その部分の合意がないまま手だけ握り合ってるだろ、アンタたち…。(>_<)

 こんなズサンな“閣外協力”、知らんわ。


 “何事も決められない総理大臣”
総理大臣ってぇのはね、強い信念を持って一つのことを決断し、国が進み行く道筋を作り、失敗があれば認めて責任を取るのが仕事なのよ。

 それが何だ?
あなたたちのやっているその行為は、

「国を守りたいのか」

「自分たちの立場を守りたいのか」

 どっちだ?

 政治の世界は「タイム・イズ・マネー」。しかし、当の本人たちはどこ吹く風で、危機意識はまったく別のベクトルを向いている。

 逆に、「いつまででもやってろ。」と吐き捨てたくなるのは、私だけであろうか。
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2010年11月01日

幼保一体化に思う

 先日のブログでちょっと触れましたが、子育てに関するシステムの一新に向けて、政府が動き出しています。

 今日の毎日新聞・朝刊には1面で「幼稚園・保育所廃止へ」と見出しが躍りました。記事の内容は…


 政府が13年度から実施予定の幼保一体化に関する制度原案が明らかになった。現在の幼稚園と保育所の制度は10年程度の経過措置の後に廃止し、新たに創設する「こども園」に一本化する。幼稚園は文部科学省所管の「教育施設」なのに対し、保育所は厚生労働省所管の「児童福祉施設」で、共働きなどで家庭で保育できない世帯を対象としている。新制度は教育・福祉両方の性格を併せ持つ施設と位置づけ、親の働き方に関係なく利用できる仕組みとする。

 1、4両日に開く政府の「子ども・子育て新システム検討会議」のワーキングチームで政府側が示す。年内に最終案をまとめ、来年の通常国会に関連法案を提出する。ただ、政府原案には幼稚園と保育所双方の関係者の激しい反発が予想され、調整は難航しそうだ。

 政府が6月にまとめた「基本制度案要綱」では、「幼稚園・保育所・認定こども園の垣根を取り払い、こども園に一体化する」とし、現行制度を否定していなかった。だが、政府原案は現行制度の「廃止」を明示。現在の幼稚園と保育所がこども園に移行するまでの期間も「10年程度」と区切った。

 一方、幼稚園と保育所で異なる料金や利用時間は、一本化しつつ現行制度を生かす余地も残している。幼稚園は入学金や保育料などを事業主が自由に決められるが、保育所は国が定めた費用で運営し、保護者は所得に応じた保育料を負担する。新制度は保育所同様、原則として国が運営経費を決めるが、私立幼稚園などの移行の際には自主性に配慮し、自由裁量もある程度認める考えだ。

 保護者の負担は利用時間によって定める。預かる時間は2〜3区分に分け、親の働き方などに合わせて利用できるようにする。



 とあります。
そして政府はこの内容を、きょう開かれた「子ども・子育て新システム検討会議」のワーキングチームの会合で示しました。
 2013年度から新しい制度に移行するために、今年中にも最終のプランをまとめ、来年の通常国会への法案提出を目指すということです。


 ジツは、この話題については、夕方に放送された「時間です!林編集長」(@ラジオ関西)の中で、“デスクの気になるニュース”としてご紹介したのですが、何せ生放送で時間がタイトだったため、お伝えしたいことや私が思っていることが全然消化できませんでした。そこで、以下にまとめてみました。長くなりますが、興味のある方はご一読下さい。





 国のシステム作りの上で大切なことは、「国民生活を守っているんですよ」というメッセージが込められているかどうか…に尽きます。

 将来にわたる不安を、それによって拭い去ることができるのか。例えば、年金だったら「それで生活していくメドが立つのか」ということですね。北欧の国は、それが充実しているから老後に備えて蓄えるという概念が存在せず、結果、消費意欲が旺盛で、経済は波打ちません。また、介護だったら「最終的に、安心してこの身を委ねていけるのか」ということ。そして、保育だったら「親が安心して子を預けられるのか」ということです。

 幼稚園と保育所の成り立ちが違うのは、周知の通り(←引用した記事にもあります)。この二重行政が長年にわたり「ムダ」と指摘され、懸案となってきたわけで、それを今回、考え直してみようというのは理解できます。

 ただ、それらを統合しようとする時に、どのような仕組みにするのかが、とても重要になってきます。

 「子どもを預かる」ということは同じでも、幼稚園・保育所では中身が違います。統合後は教育システムの中に組み入れるのでしょうか? はたまた、保育園の増設では賄いきれない待機児童解消のための“道具”として、幼稚園を利用しようとしているのでしょうか? そのあたりのグランドデザインが今イチ見えてこない中、今年中にも最終のプランをまとめ、来年の通常国会への法案提出を目指すと言われても、「え? 大丈夫?」と、当事者の親のみならず、関係者一同言いたくなるでしょう。

 解決すべきことはほかにもあります。
料金体系の違いは「預けた時間によって一律の負担で」とありますが、設定に親の収入は加味されるのか、否か。純粋に一律…となれば、所得の低い人にはハードルが高くなりかねません。また、預ける時間も「2〜3区分に分け、親の働き方などに合わせて利用できるようにする」となっていますが、その区分を決める(選ぶ)のは、親の側なのか、行政の側なのか。→介護保険のような判定スタイルを採用した場合、「おたくは週○日、○時間です」なんていうことになりかねず、親の就労に制限が出てくることにもつながります。

 また、それによって、1日に長時間預けられる子と、わずかな時間の子、毎日登園する子と、週何日か…という子が混在した中で園生活を送る必要が出てきます。

 これでは、集団生活の中で何かをしようと思っても足並みが揃いませんし、一体的な保育・教育という観点からは逸脱し、園が単なる「一時預かり施設」となりかねません。

 また、就労している先生や保育士さんたちにも影響が及びます。今はそれぞれ、資格に基づいた形で仕事をしていますが、幼稚園と保育所では取得する資格が異なります。それをどのような形で整合させるのでしょうか? 預かる子どもの時間帯が多様になると、就労(雇用)が不安定になりかねませんし、こちらの側面も気がかりです。

 一方、「こども園」には、一定の基準を満たしたNPO法人や株式会社の参入も認める方向です。より早く待機児童を解消しようと、政府はこれまでにもあの手この手で施策を組んできましたが、これはもう、究極の策ですね。NPO法人はさておいても、企業の参入を認めた場合、保育の現場に市場原理が持ち込まれる可能性があります。市場原理は競争を生みます。いい意味に働けば、より良い保育環境が生まれる…かも知れませんが、他方で質の低下や格差というものも副産物として現れかねません。これらを排除できるならいいのですが、そうすると、さすがに参入しようという企業は皆無に等しくなるでしょう。


 まさに、制度は「絵に描いたモチ」になるということ。


 来年の通常国会に提出するまでには数か月。年内のとりまとめなら2か月を切ったスケジュールの中、どれだけ大胆に、どれだけ心を配った施策がプランニングされるのか。非常に心もとない限りです。

 作業グループには、先の厚生労働省の文書偽造事件で冤罪に巻き込まれた村木厚子さんも名を連ねています。無罪を勝ち取った際に、氏は「事件で得た経験として、弁護士や裁判官らの手助けで難局を乗り切ったことを挙げ、病気や障害など人生の大きな山のようなものを(克服するのに)プロがどう手助けするか、してもらう側として味わった。今度は私(がそれをして差し上げる)番だ」と語っていましたが、ぜひ頑張ってもらいたいと思います。

 理念があいまいなところで議論が進むと、役所特有の“ご都合主義的”な要素がふんだんに盛り込まれる危険性がありますし、せっかく「少子化対策」の旗印のもと取り組むのに、出来上がった制度が中途半端なものだと、最初に挙げた「安心感」が親の側に芽生えず、「こんなんだったら、子ども育てられねぇよ!」ってな結果になりかねません。そうなったら、実にもったいない話です。

 先述しましたが、子育てに積極的に参加していないような中央官僚の“オッサン”の発想ではなく、あくまで母親の視点を大切に、大事な制度を設計して欲しい…。これは、子をもつ親のホンネです。

 しばらく目が離せない案件ですね。
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2010年10月28日

3歳の君へ

今日も、

めいっぱい遊び、

めいっぱい笑い、

めいっぱい食べて、

めいっぱい眠る。



それでいい。

それが、いい。
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2010年10月26日

私の原点

 ラジオの喋り手としてデビュー(レギュラー番組を担当)したのが、1992年のこと。
以来、音楽番組や情報番組、スポーツ番組…と、さまざまなジャンルのプログラムを担当させていただき、今は、報道をメーンに活動しています。

 その、ラジオとの出会いは小学2年生のときでした。

 親から買ってもらったポータブルラジオのチューニングで最初に探り当てた番組は、毎日放送ラジオの「MBSヤングタウン」。角淳一さんと笑福亭鶴光さんの軽妙なやりとりが、今でも印象に残っています。

 番組にハガキもたくさん送りました。採用された人に贈られるノベルティグッズは、まだ自宅の部屋に置いてあります。マスコットキャラクターのクランチバードが描かれた「バッグ」「ペンシルケース」に「キーホルダー」。バッグは実際に使って年季が入っていますが、ペンシルケースやキーホルダーは新品のまま。あの頃の記憶にスッと戻れる状態にしてあります。

 「あの人たちのように、ラジオの向こうでしゃべってみたい…。」

 ラジオを心の底から面白いと思わせてくれたヤンタンこそが、私がラジオマンとして生きてきた原点なのです。(→ちなみに、担当したレギュラー番組はKBS滋賀が最初ですが、ラジオでのデビューというと“センバツ高校野球中継”のアルプスリポートを担当させていただいた毎日放送が最初です。)

 そのヤンタンの生みの親である名物プロデューサーの渡邊一雄さん(=大ナベさん)が、今月亡くなられたことを、今日のニュースで知りました。享年75歳。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

 今夜は、あのテーマ曲(MBSヤングタウンのテーマ)が私のBGMです。
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2010年10月21日

育児休暇について考える

 大阪府の箕面市長が、次男の誕生を機に、2週間あまりの育児休暇を取得しました。市長が率先して育休を取ることで、男性職員の育児参加を促すのが狙いだそうで、「妻の負担を軽減し、家族を支える時間として大切に使いたい」と話していました。
 これに対して、大阪府の橋下知事は「世間を知らな過ぎる」とした上で、「休もうと思っても休めないのが日本の現状だ。世間が育休を取れる環境をしっかり作るのが政治、行政の役割。首長は最後に取っていくのが筋だ」などと指摘しました。

 片や、私たちの生活に密接している総務省出身の36歳市長。もう一方は、家族を大切にすることで知られている子だくさん知事の発言。どちらも正論ですし、思いは理解できます。

 この見解の相違は、発言の立ち位置が違うことによるものであることは、賢明な方ならお解かりですよね。公人と私人の立ち位置…とでも申しましょうか。


 現役子育て世代の私としては、育児休暇が(しかも有給で)取れるというのはうらやましい話。何せ、国内の企業の大半は中小・零細企業です。ラジオのリスナーさんからも「従業員5人の会社で1人育休を取ったら、戦力は20%ダウンです。それだけ、取りにくい状況なんです」という旨のメッセージが寄せられているように、一般的に、育児休暇は非常に取りにくいものとなっています。ましてや、この不況下です。企業は正規の従業員(社員)をより少なく、効率よく回したいと考えていますし、子育て世帯も経済的には苦しい状況ですから、社員の方も休みを取って収入が落ちることは避けがちです。そうしたことから、育児休暇は、有給で、しかも代わりになる戦力が存在するような規模の大きな企業であったり、公職にある人といった、スケールメリットを享受できる人しか取れない状況といえるでしょう。

 すべては、取り巻く環境の整備が優先されるべきで、「タマゴが先かニワトリが先か」の議論をしているヒマはないということです。日本の少子高齢化が進んでいるのも、根っこはそういう部分にあるといってもよく、体系的な戦略に基づいた政策の実行を望みたいものです。



 ところで、子育て世代の人たちにとっては切実な問題についての議論が、現在、進行しているのですが、ご存知でしょうか?

 政府が推し進める「子ども子育て新システム」について、いよいよ制度設計に携わる特命チームが動き出しました。都市部を中心に解消されない“待機児童”の問題などに強力に取り組んでいこうとするもので、軸になるのは「幼保一体化」(幼稚園と保育所の一元化)や、NPO法人や株式会社といった企業の参入などです。これまで監督官庁が別だった幼稚園と保育所を一元化して、教育体系の中に置こうとするプランなのですが、市場の競争原理が“人づくり”の現場に持ち込まれるような危惧もありますし、中途半端な形で移行されたのでは現場が混乱します。何より、親子にとってそれは幸せなことなのか? ということにもなりかねません。ひいては、女性の社会参加・男女共同参画社会というものにも影響し、国内経済にも及んでくる問題です。

 制度設計には、絶対に「子育てに積極参加した経験のある人」が携わらなければならないですし、プランに行政のエゴが入り込んだりすると、せっかくの制度が“絵に描いたモチ”になりかねません。そこのところを重々踏まえた上で議論を重ね、未来にも通用するようなシステムづくりを成し遂げてもらいたいと思うわけです。


 政治や行政は、結果がすべてですから。
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2010年09月30日

節目

 ラジオ関西で放送中の「谷五郎のココロにきくラジオ」。メーンパーソナリティの谷さんが遅めの夏休みを取られていたので、今週はゲストパーソナリティを迎えていました。

 月曜・火曜は芦屋小雁さん。
京都のみやびじょんで担当している番組に何度かゲストでお見えになっていたので、ご挨拶すると思い出していただけたようでした。愛嬌のある芸能界の大先輩。年齢相応に見えないその若さは、お人柄によるところが大きいのでしょう。

 そして、水曜・木曜は笑福亭小つるさん。
いよいよ、今月22日に上方落語の由緒ある名跡「六代目枝鶴」を襲名されるのですが、小つるさんとは、10年以上前にラジオ大阪の朝番組(桂小春團治さん=当時・小春さんと、小川恵理子さんも出演)でご一緒させていただいていて、それ以来の再会となりましたが、報道デスクで仕事をしている私の顔を見るなり、「あーーーーー!!!」と懐かしさいっぱいに湛えた笑顔で挨拶して下さり、嬉しかったなぁ。覚えていてくれて。

 ラジオをお聴きの方はお解かりでしょうが、楽しい方でしょ。スマートなんだけれど、笑わせるところはキッチリとアクセントが利いている感じで。
 ちなみに、小つるさんの兄弟子である松喬さんの奥様とも、私はお仕事でご一緒していて、何かとつながりがあるんです。

 襲名披露の興行には、笑福亭の重鎮が一同に揃い、会場の国立文楽劇場はにぎやかなお祝いの舞台になりそうです。頑張って下さいね。


 ところで、節目といえば、9月30日の今日は悲しい節目でもあります。

 ラジオの世界では、愛知県の外国人向け放送局「Radio−i」が経営破たんのため、全国初の放送停止となる日。また、大阪でも、コミュニティFMの貝塚コミュニティ放送が経営不振から地上波を停波させ、インターネット上での放送に移行するという日ともなりました。

 ラジオに育てられた私としては、この文化が衰退していくのは悲しい限りですが、現実にも向き合わねばなりません。実際、ニュース勤務で通っていたFM COCOLOが、FM802の子会社のような存在になってしまう過程に直面しましたし、他局では、泊まり勤務の廃止によって報道体勢が縮小する憂き目にも巻き込まれました。民放キー局でもしんどいご時世。ましてや、普段接している地方のラジオ単営局の苦境は推して然るべし…です。

 ラジオがこれから先どうなっていくのか、とても不安になるのと同時に、この文化を守り続けていかなければ…という使命感にも似たものが、心の中にハッキリ宿ってきたのも事実です。

 年度の折り返し。この節目、いろんなことを考えされられます。
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2010年09月22日

ギャグかと思うような展開

 障害者団体などに適用される郵便料金の割引制度をめぐり、証明書が不正に発行された事件で逮捕・起訴された厚生労働省の局長の裁判で、担当した大阪地方検察庁特捜部の主任検事が、押収した証拠のフロッピーディスクに手を加え、ファイルの更新日時を改ざんしたとして逮捕されましたが、そのニュースを扱った「報道ステーション」でのやり取りが、実にシュールでした。

 主任検事の逮捕を受け、検察は公判を維持できないとして控訴を取り下げ、被告の局長は無罪の一審判決が確定しましたが、そのニュースをひと通り伝えたあと、キャスターの古舘伊知郎氏は「(我々マスコミは、事件の容疑者に対し)こいつが悪者だと決め付けてワーッと騒いで“ハイ、次。”という報道をしてしまいがちですが、そんな姿勢も考えないといけないなと感じさせられます」という趣旨の、もっともらしいコメントをし、それを受けた河野アナウンサーも「私たちも、一歩立ち止まって考える姿勢が必要ですよね」というようなニュアンスで応じました。そこまでは至極正論。しかし、その直後に古舘氏の言ったコメントが…


 「では、次です。」


 私は一瞬、「ギャグですか?」と思いました。

 次のニュースって、…え? 立ち止まるんではないのですか? 何か、番組としての方針なり何なりのコメントは続かないのですか? そこで終わるのなら、ウソでもいいからCMにいくなりして空気を変えればいいものを、次のニュースにそのまま流れていくなんて、先の正論の重みが無に帰してしまいます。

 かねがね、この番組のコメントは「軽くて心に響かんなぁ。」と思っていましたが、番組の構成からもそれがにじみ出ているとは…。さすが、ニュースショーだなと思わされた一幕でした。
posted by holyyell at 01:35| Comment(0) | 物思う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする